旧約聖書と新約聖書におけるサタンや悪魔の捉え方の違いとは?実体的な存在としてサタンから比喩や象徴としてのサタンの概念へ、サタン(悪魔)とは何か?⑧

このシリーズの初回から前回までの一連の記事のなかで詳しく考察してきたように、

キリスト教においてサタンや悪魔といった呼び名で呼ばれている存在は、創世記ヨブ記ゼカリヤ書エゼキエル書といった旧約聖書における記述と、

マタイによる福音書ルカによる福音書さらにはヨハネの黙示録などといった新約聖書における記述において、その具体的な特徴描写のあり方大きな変化が生じていくことになると考えられることになります。

そこで、今回の記事では、

そうした旧約聖書新約聖書におけるサタンや悪魔と呼ばれる存在の位置づけのあり方の違いについて改めてまとめていく形で詳しく考察していってみたいと思います。

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旧約聖書における誘惑者や堕天使といった実体的な存在としてサタン

そうするとまず、

旧約聖書におけるサタンや悪魔と呼ばれる存在についての具体的な記述において取り上げていくと、

例えば、

旧約聖書最初の書である創世記のなかでは、

エデンの園において神が食べることを禁じた善悪の知恵の木の実を食べるようにアダムとイヴを誘惑することによって人間を悪の道へと導いていく悪魔の化身にもあたる蛇の姿が描かれていくことになり、

その後に出てくるヨブ記における記述においても、

神の教えに従う善良な人間であったヨブに対して過酷な苦難を与えて神の名を呪いながら生きる悪しき道へと導いていこうとする誘惑者妨害者としてのサタンの姿が描かれていると考えられることになります。

また、そのほかにも、

ゼカリヤ書エゼキエル書といった旧約聖書預言書においては、

かつては神の前に集う天使の一員として列せられていたサタンが、人間を悪の道へと導いていこうとする試みに手を染め、神に対して嘘をつき偽りの罪によって人間を陥れようとするという試みが見破られることによって、

神から厳しい罰を与えられて天界から地上へと落されるという堕天使としてのサタンの姿が描かれていると考えられることになります。

そして、このように、

旧約聖書においては、サタンは人間を悪の道へと導いていく誘惑者妨害者、そして、そうした悪しき試みに対する罰として天界から地上へと落されることになった堕天使として描かれていくことになるように、

こうしたサタンや悪魔と呼ばれる存在は、基本的には、神や天使にも比肩するような超常的な力を備えた邪悪な性質を持つ実体的な存在として捉えられていると考えられることになるのです。

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新約聖書において人間の弱い心や悪しき心に対する比喩や象徴として用いられるサタンという言葉

そして、それに対して、

新約聖書におけるサタンや悪魔と呼ばれる存在についての具体的な記述において取り上げていくと、

例えば、

新約聖書最初の書として位置づけられているマタイによる福音書では、宣教活動へと身を捧げていくことになる前のイエスが悪魔からの三つの試練を受けることになる「荒野の誘惑」と呼ばれる場面においては、

エデンの園においてアダムとイヴが受けた蛇からの誘惑と同じように、イエスを自らの悪しき考えに従わせようとする誘惑者としてのサタンの姿が描かれていくことになるのですが、

その一方で、

イエスの十字架の死の予言を聞いたペテロが、その予言の言葉を撤回するようにイエスに迫る場面においては、使徒ペテロに向けてイエスが語る言葉の中で、

「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

という表現の形でサタンについての言及がなされていくことになります。

また、

十二使徒のうちの一人であるイスカリオテのユダがイエスのことを裏切って、銀貨三十枚を受け取る代わりにイエスをユダヤ人の祭司長たちのもとへと引き渡すという契約を結んでしまう場面においても、

「十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。」

といった形でサタンについての記述がなされているように、

こうしたマタイによる福音書ルカによる福音書などといった四福音書においてサタンについての言及がなされている大部分の箇所においては、

サタンや悪魔といった言葉は、基本的には、人間を悪しき道へと引き入れていく実体を持たない霊的な存在、あるいは、そうした悪しき道へと自分自身を導いていく人間の弱い心悪しき心に対する比喩や象徴のようなものとして用いられていると考えられることになるのです。

そして、

こうしたマタイによる福音書ルカによる福音書などといった四福音書に代表されるような新約聖書の大部分の箇所におけるサタンについての記述のあり方に対して、

新約聖書最後の書として位置づけられているヨハネの黙示録においては、こうしたサタンや悪魔と呼ばれる存在は、

七つの頭十本の角十の王冠を持つ黙示録の獣の存在と共に、七つの頭十本の角七つの冠を持つ火のように赤い大きな竜の姿として描かれていくことになり、

そこでは、こうしたサタン悪魔と呼ばれる存在に対しては、「巨大な竜」「年を経た蛇」そして「全人類を惑わす者」「地上に投げ落とされた者」といった呼び名が与えられていくことになるのです。

・・・

以上のように、

こうした旧約聖書新約聖書におけるサタンや悪魔と呼ばれる存在の位置づけのあり方の違いについては、

前者の旧約聖書においては、こうしたサタンや悪魔と呼ばれる存在は、人間を悪の道へと導いていく誘惑者堕天使にあたるような神や天使にも比肩するような超常的な力を持った邪悪な性質を持つ実体的な存在として位置づけられているのに対して、

後者の新約聖書においては、こうしたサタンや悪魔といった言葉は、そうした悪しき道へと自分自身を導いていく人間の弱い心悪しき心に対する比喩や象徴のような言葉として用いられていることが多いといった点に、

そうした旧約聖書新約聖書の両者におけるサタンや悪魔と呼ばれる概念の具体的な捉え方の違いのあり方を見いだしていくことができると考えられることになります。

そして、

こうした新旧両方を合わせた聖書全体を結ぶ最後の書として位置づけられているヨハネの黙示録においては、こうした旧約聖書と新約聖書におけるサタンや悪魔の概念がすべて総括されていったうえで、

そうした「巨大な竜」「年を経た蛇」そして「全人類を惑わす者」「地上に投げ落とされた者」といった呼び名が付けられたサタンや悪魔と呼ばれる存在が、

七つの頭十本の角七つの冠を持つ炎のように燃え上がる赤い巨大な竜の姿として具現化されていると解釈していくことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:悪魔を意味するサタンと土星を意味するサターンの関係とは?ローマ神話のサトゥルヌスとギリシア神話のクロノスと神々の戦争

このシリーズの前回記事:ヨハネの黙示録における赤い巨大な竜としてのサタンの姿と創世記におけるエデンの園の蛇の関係、サタン(悪魔)とは何か?⑦

前回記事:新約聖書のヨハネの黙示録と旧約聖書におけるダニエル書とイザヤ書とエゼキエルという三つの預言書との関係とは?

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