サタン(悪魔)とは何か?①ヘブライ語におけるサタンの意味とエデンの園でイヴを誘惑した蛇との関係
ユダヤ教やキリスト教において、全能なる神の権威に対して挑戦を挑み、人間を誘惑して堕落させようと試みる神の対立者として位置づけられる存在にあたる悪魔は、一般的には、サタンという呼び名で呼ばれることが多いと考えられることになりますが、
こうしたサタンと呼ばれるユダヤ教やキリスト教における悪魔の存在は、ユダヤ教とキリスト教の共通の聖典にあたる旧約聖書や、そうした旧約聖書がもともと書かれていた原語にあたるヘブライ語においては、具体的にどのような存在として描かれていると考えられることになるのでしょうか?
今回の記事では、まずは、
そうしたサタンという言葉のヘブライ語における本来の意味と、旧約聖書エデンの園でイヴを誘惑した蛇との関係性といった観点から、こうしたサタンと呼ばれる存在が具体的にどのような存在として捉えられていくことになるのか?といったことについて詳しく考えていきたいと思います。
ヘブライ語における敵対者や告発者としてのサタンという言葉の意味
そもそも、現代においては、一般的に、
サタン(satan)という言葉は、悪魔と呼ばれるような神と対立する超常的な力を持った邪悪な人格的存在のことを意味する固有名詞として用いられることが多い言葉であると考えられることになりますが、
こうしたサタン(satan)という言葉は、ユダヤ教とキリスト教の共通の聖典にあたる旧約聖書の原語にあたるヘブライ語においては、もともとは、「敵対者」「告発者」「非難する者」といった意味を表す一般的な名詞として用いられていた言葉であったと考えられることになります。
そして、
そうしたヘブライ語において敵や告発者のことを意味していたサタン(satan)という言葉が、その後、ギリシア語やラテン語へとそのまま取り入れられていく際に、
前述したような悪魔すなわち神と対立する超常的な力を持った邪悪な人格的存在のことを意味する言葉としてより明確な形で定着していくことになっていったと考えられることになるのです。
エデンの園でイヴを誘惑した蛇と悪魔やサタンとの関係
そして、
旧約聖書において、こうした神と対立する超常的な力を持ち、人間を誘惑して悪の道へと導いていく悪魔としてのサタンの存在がはじめてその姿の片鱗を現すのは、一般的には、
旧約聖書の最初の書にあたる「創世記」の冒頭部分において登場するエデンの園においてアダムとイヴが蛇からの誘惑を受ける場面であるといった印象が強いと考えられることになりますが、
具体的には、こうした旧約聖書の「創世記」における蛇の誘惑の場面についての記述は、以下のような形で記されていくことになります。
・・・
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
(旧約聖書「創世記」3章1節~7節)
・・・
そして、上記の「創世記」の記述において見られるように、
実際には、そうした神によって土から造られた最初の人類であるとされるアダムやイヴを誘惑した蛇が悪魔やサタンと呼ばれるような存在であるといった記述は、旧約聖書の本文のなかの記述においては一切書かれていないと考えられることになるのですが、
その一方で、
こうしたエデンの園においてイヴを誘惑する者として登場する蛇は、人間と言葉を交わすことができるだけではなく、神が創造した生き物のなかで最も賢いとも述べられているように、人間をはるかに凌駕する超常的な知性と能力を持ちながらあえて神の意志に反する悪しき行いへと人間を導いていこうとする邪悪な存在として位置づけられているとも考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうした旧約聖書「創世記」のエデンの園の場面において登場するイヴを誘惑する蛇は、聖書の記述自体のなかでは明示的な形では示されてはいないものの、
そうした蛇の存在は、人間を誘惑して神の教えに背く悪の道へと導いていく神への敵対者としてのサタンの特徴を色濃く反映した悪魔の化身にあたるような存在としても解釈していくことができると考えられることになるのです。
そして、
詳しくはまた次回の記事で改めて詳しく考察していくように、
こうした神への敵対者、あるいは、人間を悪の道へと導いていく誘惑者としてのサタンの存在は、
「ヨブ記」や「ゼカリヤ書」といった「創世記」の後に続いていくことになる旧約聖書の書物における記述の中で、より明確な形で提示されていくことになると考えられることになります。
・・・
次回記事:旧約聖書のヨブ記とゼカリヤ書における人間に対する敵対者と告発者としてのサタンの二つの側面、サタン(悪魔)とは何か?②
前回記事:ユーノーが6月を司る女神となった理由とは?古代ローマ暦における男女の愛の過程を象徴する神々の配置と五つの惑星との関係
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