旧約聖書のヨブ記とゼカリヤ書における人間に対する敵対者と告発者としてのサタンの二つの側面、サタン(悪魔)とは何か?②
前回の記事で書いたように、ユダヤ教やキリスト教において神と対立する超常的な力を持った存在として位置づけられることになる悪魔の呼び名にあたるサタン(satan)という言葉は、
旧約聖書の原語にあたるヘブライ語においては、もともとは、「敵対者」「告発者」といった意味を表す言葉であったと考えられることになるのですが、
旧約聖書の本文のなかでは、そうした人間に対する敵対者あるいは告発者としてのサタンの存在は、「ヨブ記」や「ゼカリヤ書」といった書物のなかでより明確な形で描かれていくことになります。
ヨブ記における天使と同列の立場から人間に苦難を与えるサタンの存在
まず、
こうした「ヨブ記」や「ゼカリヤ書」という旧約聖書における二つの書のうちの前者にあたる「ヨブ記」においては、サタンと呼ばれる存在は、具体的には以下のような形で描かれていくことになります。
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ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。 ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。
(旧約聖書「ヨブ記」1章6節~12節)
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つまり、上記の「ヨブ記」における旧約聖書の記述においては、
サタンは、神に真っ向から歯向かって戦いを挑んでいく敵対者としてではなく、神の御使い、すなわち、天使たちと共に神のもとに集うことができるという、
悪魔というよりは、むしろ、天使の一員として彼らと同列に列せられるような存在として位置づけられているとも解釈することができると考えられることになります。
そして、上記の「ヨブ記」の場面においては、
そうした天使の末席にあたるような地位に位置づけられているサタンが、神が考えているほどには人間は善良でも賢明でもなく、愚かで堕落した存在であるということを示すことによって、神の関心を引いて自らの力を認めてもらおうとするかのように、
神に従おうとする善良な人間を誘惑したり、それとは反対に、大きな苦難を与えたりすることによって、人間を悪の道へと導いていこうとする誘惑者や妨害者としてのサタンの姿が描かれていると考えられることになるのです。
ゼカリヤ書における人間に対する偽りの告発者としてのサタンの姿
また、それに対して、
後者の「ゼカリヤ書」においては、今度は以下のような形でサタンと呼ばれる存在についての直接的な記述が現れていくことになります。
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主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。
主の御使いはサタンに言った。「サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。」
ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた。 御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り去った。お前に祭服を着させよう。」
(旧約聖書「ゼカリヤ書」3章1節~4節)
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上記の「ゼカリヤ書」における旧約聖書の記述においては、
モーセの後を継いでイスラエルの民の指導者となったヨシュアが神の前で審判を受ける場面のなかで、人間であるヨシュアと並んで神の審判を受けるサタンの姿が示されていると考えられることになります。
そして、
前述した「ヨブ記」におけるサタンの位置づけとは異なり、もはや、天使たちの一員には加えられず、人間と同等の存在として神の審判を下される側に立っているサタンは、
ヨシュアとイスラエルの人々を陥れて神によって罰を与えられるようにしようとする画策もむなしく、そうした数々の讒言によって、かえって自分の方が地獄の業火によって焼かれるような厳しい罰を下されるはめに陥ってしまったと考えられることになるのですが、
こうした「ゼカリヤ書」の場面においては、
人間に偽りの罪を着せて厳しい罰を与えることを神に求めていくという人間に対する偽りの告発者としてのサタンの姿が描かれていると考えられることになるのです。
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以上のように、
こうした旧約聖書の「ヨブ記」や「ゼカリヤ書」といった書物に記されているサタンに関する直接的な記述においては、
はじめは、神の御使いたちと共に神の前に集う天使の一員のような存在として位置づけられていながら、誘惑したり苦難を与えたりすることによって人間を悪の道へと導いていこうとする試みばかりに手を染め、
その果てには、神に対して嘘をつくことによって偽りの罪によって人間を陥れようとするという試みが見破られて神から厳しい罰を与えられることによって、地獄へと落とされてしまうというように、
人間に対する敵対者と告発者という二つの側面を持ったサタンの存在のあり方が明確な形で提示されていると考えられることになるのです。
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次回記事:旧約聖書のエゼキエル書において記されているサタンの天上での栄光から地上への転落までの顛末、サタン(悪魔)とは何か?③
前回記事:サタン(悪魔)とは何か?①ヘブライ語におけるサタンの意味とエデンの園でイヴを誘惑した蛇との関係
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