妖怪人間と古代ローマの詩人ユウェナリスの教訓、健全な身体と健全な精神はどちらの方がより強く望まれるべきなのか?

このシリーズの初回から前回までの一連の記事では、1968年に制作されたテレビアニメ作品である『妖怪人間ベム』の物語のなかで描かれている

ベム、ベラ、ベロと呼ばれる三人の妖怪人間たちの悪しき怪物のような醜い身体という外面的な姿と、そうした醜い身体の内に宿る悪を憎んで弱き人々を助けようとする正しく美しい心という内面的な姿との関係性について様々な観点から考察してきましたが、

こうした人間という存在における身体の美しさや健全性のあり方と、そうした身体の内にある内面的な精神の美しさや健全性のあり方との関係性についての言及がなされている古典作品としては、

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」といった日本語における表現で有名な古代ローマの詩人であるユウェナリスの『風刺詩集』のなかに出てくるラテン語の詩文における文言を挙げることができると考えられることになります。

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「健全な身体の内に健全な精神があるように祈られるべきである」

まず、冒頭でも挙げた

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉は、

1世紀~2世紀にかけて活躍した古代ローマの詩人にして風刺家でもあったユウェナリス『風刺詩集』と呼ばれる作品集のなかに出てくる

mens sana in corpore sano(メンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノ)

というラテン語における文言の訳文にあたる言葉ということになるのですが、

上記のラテン語の文言は、その前後の文脈に基づくと、

より正確には、

「健全な身体の内に健全な精神があるように祈られるべきである」

といった意味を表す言葉として解釈されることになります。

つまり、

こうした古代ローマの詩人であるユウェナリスのラテン語の詩文においては、

人間が幸福な人生心の平安のある満ち足りた生活を送るために本当に必要なことというのは、健全な身体健全な精神というただ二つのことだけで十分であるといった意味で、

こうした「健全な身体の内にある健全な精神」という言葉が語られていると考えられることになるのです。

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健全な身体と健全な精神はどちらの方がより強く望まれるべきなのか?

そして、

これまでの一連の記事のなかで取り上げてきた『妖怪人間ベム』において登場する怪物のような醜い身体の内に正しい心を宿した妖怪人間たちは、

彼らが、目の前にいる弱き人々を自らの身の危険もかえりみずに助けようとして、常に全力を尽くして悪と戦い続けていくという本物の人間よりも人間らしい美しく正しい心を持っているという点において、

そうした健全な身体健全な精神という人間が人間としての幸福な人生を送るために必要な二つの重要な要素のうちの

後者にあたる健全な精神については十分に備えていると考えられることになるのですが、

それに対して、

彼らは、悪と戦うために必要な超人的な妖力驚異的な身体能力のようなものは持ってはいるものの、その反作用として体力の消耗が激しくすぐに力尽きてしまうことがあることや、

その怪物のような醜くおぞましい奇怪な姿のゆえに、人々から恐れられ蔑まれてしまうことになり、そのことによって自分たち自身が深く恥じ入り苦しめられているといった点において

前者の健全な身体というものは決して十分には与えられていないと考えられることになります。

そして、

こうした正しく美しい心としての健全な精神と、怪物のような醜い身体という不健全な身体という二つの要素のアンバランスさゆえに、

こうした妖怪人間の物語には、姿かたちの整った格好がよく美しい姿をしたヒーローたちが醜い姿をした悪人や怪物ども倒していくといった通常のヒーロー物語や英雄譚には見られないような独特の悲哀や哀愁といったものが感じられることになると考えられることになるのですが、

そして、それと同時に、

こうした『妖怪人間ベム』の物語のなかで描かれている妖怪人間たちの生き方からは、

そうした怪物のような醜い身体の内に人間らしい美しい心を宿した妖怪人間たちの姿と、その対極にある存在である

人間らしい整った身体の内に悪魔のような醜い心を宿した悪人たちの姿とを互いに見比べていくなかで、

前者の妖怪人間たちの方が、後者の悪人たちよりも、実際にはより人間らしい姿をしていて、彼らの方がそうした悪人たちよりも人間としての幸福な人生を送るのにふさわしい生き方をしているということに次第に気づかされていくことになります。

つまり、そういった意味では、

こうした妖怪人間の物語においては、

上述した古代ローマの詩人であるユウェナリスが残したラテン語の詩文における言葉の意味と照らし合わせて語るとするならば、

mens sana in corpore sano(メンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノ)
健全な身体の内に健全な精神の宿れかし

しかし、もしも、

そうした健全な身体健全な精神という人間が人間としての幸福な人生を送るために必要な二つの要素のうちのどちらか一方しか選ぶことができないとするならば、

健康な身体よりも健全な精神の方が損なわれることのない方がいい

すなわち、

身体の醜さや不健全さによって自らの心が苦しめられ思い悩むことになることよりも、心の醜さや不健全さによって自らの身体の清らかさまでもが汚されることの方をより強く恐れるべきであるということが示されているとも考えられることになるのです。

・・・

次回記事:「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の本当の意味とは?①ラテン語の文法に基づくmens sana in corpore sanoの解釈

前回記事:『ラストハルマゲドン』と『妖怪人間ベム』の関係とは?醜い悪しき怪物のような姿をした妖怪人間と魔族たちの正しく美しい心

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