『妖怪人間ベム』と『風の谷のナウシカ』に共通する世界観とは?醜さや闇のうちにこそ見いだされる新たな希望と光
前回の記事で書いたように、1968年に制作された日本のテレビアニメ界の黎明期における金字塔的な作品の一つである『妖怪人間ベム』においては、
妖怪のような醜い身体の内に悪を憎む正しい心を宿し、人間になりたいという強い思いとそうした正義の心のゆえに、悪しき人々によって苦しめられている弱き人々を自らの身の危険を冒してまで助け続けていくという
ベム、ベラ、ベロと呼ばれる三人の妖怪人間たちの物語が描かれていくことになります。
そして、
こうした『妖怪人間ベム』において描かれている美と醜、正と邪、善と悪といった存在を単なる二項対立として捉えないような複雑な世界観のあり方は、
1984年に製作された日本を代表するアニメ映画作品である『風の谷のナウシカ』の中に出てくる腐海の森に生きる蟲たちや森の王である王蟲といった異形の姿をした生物たちの存在の内にも、
そうした妖怪人間たちの存在に通底するようなある種の理念や世界観のようなものを読み解いていくことができると考えられることになります。
『妖怪人間ベム』と『風の谷のナウシカ』に共通する世界観とは?
冒頭でも述べたように、
『妖怪人間ベム』のなかに出てくるベム、ベラ、ベロと呼ばれる三人の妖怪人間たちは、怪物のような醜い身体の内に、悪を憎んで弱き人々を助けることを求めてやまない正しく美しい心を持っていて、彼らは、
そうした自らの正しく美しい心にふさわしい人間としての清らかな身体を手に入れるために自らの正義の心がおもむくままに人助けを続けていると考えられることになります。
そして、それに対して、
『風の谷のナウシカ』のなかに出てくる腐海の森に生きている生物たちも、猛毒の瘴気(しょうき)をまき散らして人々の身体を毒する醜い姿をした異形の生物として描かれているものの、それと同時に彼らは、
自らの身体の内に毒を取り込んでそれを徐々に代謝していくことによって、長い年月をかけて大地を浄化し、未来の人々を青き清浄の地へと導いていくことになるという清らかな役目を担う存在でもあるということが解き明かされていくことになります。
・・・
つまり、そういった意味では、
こうした『妖怪人間ベム』と『風の谷のナウシカ』の物語のなかに出てくる妖怪人間たちと腐海の森の異形の生物たちは、
両方とも、醜い姿をした悪しき怪物のような単なる醜悪な存在としてだけ描かれているわけでもなければ、その反対に、美しさや清浄さといった単なる善のみの存在としてだけ描かれているわけでもなく、
こうした妖怪人間たちと腐海の森の生物たちの両者は、
どちらも自らの存在の内に、美と醜、正と邪、善と悪の要素を両方ともあわせ持った複雑で深淵なる存在として描かれているという点に、
こうした『妖怪人間ベム』と『風の谷のナウシカ』という二つの物語の間に通底するある種の理念や世界観のようなものを読み解いていくことができると考えられることになるのです。
生命が自らの内に含む闇や醜さのうちにこそ見いだされる新たな希望と光
ちなみに、
以前に「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の本当の意味とは?」の記事にはじまる一連のシリーズのなかで詳しく考察したように、
1984年制作の映画版の『風の谷のナウシカ』の原作にあたる1982年から連載のはじまった漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、
最終巻の結末の部分に近いクライマックスの場面で、墓所の主や旧世界の影と呼ばれる現在の世界の創造主たちと対面したこの物語の主人公であるナウシカが、
現在の不浄なる世界に生きる人々や腐海の森の生物たちの命のすべてを犠牲にしたうえで、そうした犠牲の礎の上に青き清浄の地を築き上げていこうとする墓所の主たちが定めた運命に対して抗い、
彼らの計略を打ち砕いて腐海の森に生きる人々とすべての生物たちを守ろうとする場面が出てきます。
そして、その場面では、
「お前にはみだらな闇のにおいがする。…わたしは暗黒の中の唯一残された光だ。娘よ、お前は再生への努力を放棄して、人類を亡びるにまかせるというのか?」
と語りかけてくる墓所の主たちの非難の声に対して、ナウシカが、
「私たちは腐海と共に生きて来たのだ。亡びは私たちの暮らしのすでに一部になっている。…王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた。…いのちは闇の中でまたたく光だ!」
と切り返すことによってその声を退ける場面が出てくるのですが、
そういった意味では、ここでは、
醜い姿をした腐海の森の生物たちの存在の内に、青き清浄の地へと通じる美しい生命の光を見いだすだけではなく、そうして見いだされた生命の光の内にもさらに闇と虚無へと連なる要素が見いだされていくことになるというように、
こうした漫画版における『風の谷のナウシカ』においては、生命といった存在の内に見いだされる闇の深さがさらにひときわ深いものになっているとも考えられることになるのです。
・・・
いずれにしても、以上のように、
こうした『妖怪人間ベム』と『風の谷のナウシカ』という二つのアニメ作品には、
人間や生命といった存在が、単なる善良さや清浄さといった美しいものからだけ成り立っているわけではなく、そうした存在の内に含まれる闇と光、醜さと清浄さの両方の側面を同時に認めたうえで、
そうした生命が自らの内に含む闇や醜さのうちにさらに新たな光と希望を見いだしていくという点に、互いに共通する世界観を見いだしていくことができると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:『ラストハルマゲドン』と『妖怪人間ベム』の関係とは?醜い悪しき怪物のような姿をした妖怪人間と魔族たちの正しく美しい心
前回記事:「妖怪人間ベム」の物語に込められた現代の人間に対する警鐘とは?醜い身体と正しい心を持つ妖怪人間の対極にある存在
「漫画・アニメ・映画」のカテゴリーへ
「妖怪人間ベム」のカテゴリーへ
「風の谷のナウシカ」のカテゴリーへ