「嘘をついてはならない」という命題が定言命法に基づく普遍的な道徳法則の例として挙げられている深遠なる理由とは?

以前に「カントの『実践理性批判』における定言命法の具体例」の記事などで書いたように、カントの主著の内の一つである『実践理性批判』においては、

カントの倫理学の根幹をなす普遍的な道徳法則のあり方を規定する定言命法に基づく倫理規定のあり方の例として、

「嘘をついてはならない」、より正確に言えば、「偽りの約束をしてはならない」という命題の例が挙げられています。

しかし、このように書くと、

例えば、

友人たちが好きなドラマの話をしていているときに、自分はそのドラマがあまり好きでなかったとしても、ついついその場の雰囲気に合わせて、自分も好きだと嘘をついて話を合わせることや、

子供に次の休日には遊園地に行こうと約束してみたものの、実際に当日になると急用が入ってしまってキャンセルせざるを得なくなって約束を守ることができなくなってしまったといった場合などについても、

それは、カントの倫理学においては、

普遍的な道徳法則の代表例である「嘘をついてはならない」という倫理規則に反する重大な罪悪として非難されることになるのか?といった疑問が生じてくることになると考えられることになるのですが、

実際には、カントの『実践理性批判』における一連の議論の流れのなかでは、

私たちが日常生活において何の気なしに軽い気持ちでついている嘘や、悪気がなくて結んでしまっている偽りの約束といった一般的な意味における嘘や偽りといった概念よりも、

だいぶ重大で深刻な意味においてこうした「嘘」や「偽り」といった概念が捉えられていると考えられることになります。

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自らの命を懸けた究極の場面における偽証を為すことと偽証を拒むことに関する道徳的な選択

カントの『実践理性批判』における定言命法とそれに基づく普遍的な道徳法則のあり方に関する一連の議論においては、

以前の記事で挙げた「偽りの約束をしてはならない」という命題の例が挙げられてある部分のしばらく後の箇所において、

今度は、「偽証してはならない」という命題の形で示された定言命法に基づく普遍的な道徳法則についての議論が以下のような形で展開されていくことになります。

・・・

今度は、彼にこう問うてみるとしよう。

もし、彼が仕えている君主が、偽りの罪を着せることによって一人の誠実な人物を殺してしまおうとして、彼に偽証することを迫った場合

もし、彼がこの要求を受け入れなければ直ちに死刑に処されると脅されていたとしても、彼は自分の命に対する強い愛着の念に打ち勝ってこの悪しき君主の要求を退けることができるのだろうか?と。

彼が実際にこのことを為すか否かは、彼自身としてもおそらく確言することはできないだろう。しかし、このことを為すことが彼には可能であるということは、躊躇なく認めるに違いない。

つまり、彼は、あることを為すべきであると意識するがゆえに、そのことを為しうると判断するのである。

そして、道徳的法則がなかったならば、彼がついに知ることがなかったであろう自由を自らの内に認識するのである。

(カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、72ページ参照)

・・・

このように、

こうしたカントの『実践理性批判』において定言命法に基づく普遍的な道徳法則の例として挙げられている

「嘘をついてはならない」、より正確に言えば、「偽りの約束を結んではならない」あるいは「偽証してはならない」といった命題は、

一義的には、

日常的な意味における嘘や偽りの約束といった意味よりは、

そうした偽りの約束や偽証を為すことによって、偽りの罪を着せられた相手を死へと追い込んでしまうことになり、その反対に、そうした偽証を為すことを拒めば、今度は自分の命が奪われてしまうことになるといった

自らの命が懸かった究極の選択の場面において問題となる人間の心における道徳性を規定する倫理規定のあり方として捉えられていると考えられることになります。

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自らの心の内なる道徳律の存在と人間における意志の自由との関係

そして、

上述した『実践理性批判』の記述においては、カント自身の言葉によって、そうした物理的にはほとんど抗うことができないような強大な力によって偽証を為すことを強いられた人物は、

たとえ偽証を拒むことによって自らの命が奪われることになったとしても、その選択をすることが為すべきであると意識するがゆえに、そのことを為しうると判断することができるとされたうえで、

そうした自らの心の内なる道徳律に基づいて道徳的な選択を為しうると判断できるという事実こそが人間の精神における自由の存在を証明しているということを示唆されているように、

カントの倫理学においては、

 「嘘をついてはならない」という命題が定言命法に基づく普遍的な道徳法則の例として挙げられていくことを通じて、

人間は、自らの命が天秤にかけられて次の瞬間には滅ぼされてしまうような究極の選択の局面においても、悪しき権力が持つ強大な力の前にただ屈服してただなすがままになるのではなく、

そうした自らの心の内なる道徳律の声に従って、自分自身に関わるそのほかのあらゆる利害関係を度外視してでもそうした強大な悪しき力をはねのけて自らの意志の自由を手にすることができるという人間の心の内なる道徳的な理念の力が示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」カント倫理学における道徳原理の第一の定式

前回記事:自由意志と道徳法則と実践理性の三位一体の関係、カントの『実践理性批判』の冒頭部分における純粋実践理性についての記述

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