「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」カント倫理学における道徳原理の第一の定式
カントの倫理学における定言命法に基づく普遍的な道徳原理のあり方は、カントの主著の内の一つである『実践理性批判』の比較的冒頭部分に近い箇所にあたる
第一部第一篇第一章の第七節においては、以下のような定式の形として提示されていくことになります。
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「汝(なんじ)の意志の格率(かくりつ)が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」
(カント『実践理性批判』第一部第一篇第一章第七節「純粋実践理性の根本法則」波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、73ページ参照)
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こうしたカントの倫理学における定言命法に基づく道徳原理についての第一の定式のあり方は、一般的には定言命法に関する「普遍的法則の定式」として位置づけられているのですが、
カントの『実践理性批判』においては、こうした純粋実践理性の根本法則としての定言命法に基づく道徳原理の定式のあり方は、さらに、以下のような形で説明されていくことになります。
カントの『倫理学』における道徳原理の第一の定式のあり方を説明する『実践理性批判』における具体的な記述
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純粋実践理性においては、実践的規則が「絶対的にある特定の仕方で行為すべし」と命じるのである。
それだから、この実践的規則は無条件的であり、したがってまたア・プリオリな定言的実践的命題とみなされるのである。
そして、意志は、この実践的命題によって絶対的かつ直接的に客観的に規定される。この場合には、それ自体として実践的な純粋理性が直接的に法則を与えるからである。
意志は、経験的条件に関わりのないものとして、つまり純粋意志として法則の単なる形式だけによって規定されていると考えられ、その規定根拠はすべての格率の最高条件とみなされるのである。
(カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、73ページ参照)
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まず、
上記の『実践理性批判』における少し難解なところのある記述を読み解いていくために、上記の記述の内に含まれているカント哲学における専門的な概念の意味を少しばかり整理しておくと、
カントの倫理学の議論においては、
「実践的」という概念は、「道徳的」という概念とほぼ同義語にあたる概念として用いられていて、
「純粋」や「ア・プリオリ」といった概念は、「経験に拠らずに」あるいは「論理的形式のみによって」といった意味を表す概念としてそれぞれ解釈することができると考えられることになります。
そして、こうした解釈に基づくと、
上記のカントの『実践理性批判』の記述の冒頭部分において語られている
純粋実践理性における実践的規則とは、個別の経験に拠らずにそれ自体の論理的形式のみによって善とされる普遍的な道徳法則のことを意味していると考えられ、
その後の部分では、
こうした普遍的な道徳法則は、無条件的でア・プリオリな定言的実践的命題、すなわち、無条件に「~せよ」と命じる定言命法に基づく道徳的命題であるということが改めて語られたうえで、
さらに、
人間の意志に基づく行為が真の意味において実践的すなわち道徳的であるためには、そうしたすべての行為の源にある人間の意志の存在自体が、こうした定言命法に基づく普遍的な道徳法則によって絶対的かつ客観的に規定されていなければならず、
そういった意味において、
そうした人間の意志の絶対的かつ客観的な規定根拠として位置づけられている普遍的な道徳法則の存在は、
意志における格率すなわち人間の行動における主観的原理のあり方を規定する最高条件にして崇高なる至上の原理として位置づけられていくことになるということが語られていると考えられることになるのです。
「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」という言葉の具体的な意味
以上のように、
こうしたカントの『実践理性批判』において語られている純粋実践理性の根本法則に関する一連の記述に基づくと、
カントの倫理学において普遍的な道徳原理のあり方を定義づける第一の定式として位置づけられている
「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」
という言葉は、具体的には、
人間の意志における格率すなわち人間の行動における主観的な原理のあり方は、それが個別の経験に拠らずにそれ自体の論理的形式のみによって善とされる定言命法に基づく普遍的な道徳法則によって規定される限りにおいて普遍的に妥当する客観的な原理のあり方へと高められていくことになり、
人間の意志に基づくあらゆる行為は、それがそうした定言命法に基づく普遍的な道徳法則に一致する行為である場合においてのみ絶対的かつ客観的に善なる行為として認められることになる
といった意味を表す言葉として解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」カント倫理学における道徳原理の第二の定式
前回記事:「嘘をついてはならない」という命題が定言命法に基づく普遍的な道徳法則の例として挙げられている深遠なる理由とは?
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