カントの『実践理性批判』における定言命法の具体例と常にそれ自体として善なる普遍的な道徳法則としての定言命法の位置づけ

前回の記事で書いたように、カントの『実践理性批判』における第一部の第一編の第一章の記述においては、

仮言命法定言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式の定義が示されたうえで、まずは、その前者にあたる仮言命法に区分されることになる命題の具体例が挙げられていくことになるのですが、

カントの『実践理性批判』におけるその後の箇所の記述においては、今度は、こうした二つの道徳的な命令形式の内の後者にあたる定言命法に区分されることになる命題の具体例についての言及がなされていくことになります。

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カントの『実践理性批判』における定言命法の具体例についての記述

カントの『実践理性批判』において示されている仮言命法定言命法と呼ばれる道徳的な命令形式のそれぞれに分類される命題の具体例については

「仮言命法とは何か?」「定言命法とは何か?」の記事などでも簡単に触れましたが、

こうした二つの命令形式のうちの後者にあたる定言命法に区分されることになる命題の具体例については、

正確には以下のような文脈において、そうした定言命法に区分されることになる具体的な命題についての言及がなされていくことになります。

・・・

ところで、ある人に向かって、

「あなたは決して偽りの約束をすべきではない」

と言うならば、これはその人の意志のみに関する規則となるだろう。…

そしてこの規則が実践的に正しいと分かれば、それは取りも直さず法則となるなぜならば、このような規則こそが定言的命法だからである

こういう訳で、実践的法則は意志そのものだけに関係し、意志の原因性によって達成されるもの(結果)を無視して顧みないのである。

それだから実践的法則の純粋性を保つためには、意志の原因性(感性界に属するものとしての)を度外視して差し支えがないのである。

(カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、51ページ参照)

・・・

このように、

上記のカントの『実践理性批判』の記述においては、

「あなたは決して偽りの約束をすべきではない」

という命題のあり方が、自分自身の意志のみに関係し、その意志に基づく行為によってもたらされる結果のあり方によって善悪の評価が変わることがないような命法のあり方、

すなわち、

仮言命法におけるような特定の仮定や条件による制約を受けずに、人間の意志に基づく行為のあり方を無条件に規定することになる定言命法として位置づけられる命題のあり方の具体例として提示されていると考えられることになります。

つまり、

こうしたカント自身の言葉によって語られている「あなたは決して偽りの約束をすべきではない」という命題は、

たとえ、そうした偽りの約束を結んで相手をだますことを避けることによって、自分自身がいかなる不利益となる結果をこうむることになったとしても、

その結果のいかんに関わらず、ただ自分は相手をだまして偽りの約束を結ぶことがなかったというその倫理的命題に基づく行為の実践のみによってその人物の行為は善とされ、

それと同様に、

たとえ、偽りの約束を結ぶことによって結果としてどのような利益を得ることができたとしても、その倫理的命題に反する行為の実践のみによってその人物の行為は悪とされることになるという意味において、

それは、どのような状況やどのような性格の人物においても同様に無条件に適用することができる定言命法としての形式を備えた道徳的な命題のあり方として捉えられることになると考えられることになるのです。

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常にそれ自体として善である普遍的な道徳法則の存在そのものの姿としての定言命法の位置づけ

以上のように、

こうしたカントの『実践理性批判』において示されている定言命法の具体例として位置づけられている命題に関する一連の議論においては、

そうした定言命法に基づく倫理的な規則の実行のあり方においては、命題を実行することを迫られている当人が実際に置かれている状況の違いや、本人自身の性格の違い、あるいは、行為の結果がもたらす様々な利害関係といったいかなる主観的条件にも関わりなく

ただ自らの意志に基づいてそうした定言命法に従った行為を行うということ自体が客観的に無条件に善なる行為として位置づけられていくことになるという考え方が示されていると捉えられることになります。

そして、そういった意味において、カントの倫理学においては、

こうした「決して偽りの約束をすべきではない」という命題に代表されるような定言命法に基づくあらゆる状況において無条件に適応される倫理的規則のあり方は、

ほかのいかなる条件とも無関係に常にそれ自体として善であるとされる普遍的な道徳法則の存在そのものの姿のことを表す道徳形式のあり方として位置づけられていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:定言命法と仮言命法の違いとは?カントの倫理学における二つの道徳的な命令形式のあり方の具体的な意味の違い

前回記事:カントの『実践理性批判』における仮言命法の具体例の記述と道徳法則とならない不完全な倫理規則としての仮言命法の位置づけ

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