定言命法と仮言命法の違いとは?カントの倫理学における二つの道徳的な命令形式のあり方の具体的な意味の違い

前回までの一連の記事では、哲学史においては近代哲学の祖としても位置づけられている18世紀のドイツの哲学者であるカントの『実践理性批判』において示されている

定言命法仮言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式のあり方についての具体的な記述と定義のあり方について詳しく考察してきましたが、

今回の記事では、そうした定言命法仮言命法と二つの命令形式のあり方の具体的な意味の違いについて、改めてまとめていく形で書いておきたいと思います。

仮定や条件となる別の目的を達成するための手段としての仮言命法の位置づけ

まず、こうした定言命法仮言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式のあり方の内の後者である

仮言命法hypothetischer Imperativ、ヒュポテーティッシャー・インペラティフ)とは、「仮説に基づいた命令法」「仮定的な規則」といった意味を表す言葉であり、

カントの倫理学においては、こうした仮言命法と呼ばれる命令形式のあり方は、

その命令を実行することによって得られる利益などの結果を目当てとした条件付きの命令形式のあり方として定義されていくことになります。

そして、

カントの主著の内の一つである『実践理性批判』においては、こうした仮言命法に分類される道徳的な規則のあり方の具体例として、

「年をとって生活に困らないためには、若いうちに働いて倹約せねばならない」という命題の例が挙げられていくことになるのですが、

このように、

こうした仮言命法と呼ばれる命令形式のあり方においては、

その命令の前提となる部分において「~の場合には」「~するためには」といった仮定や条件の存在が含まれていて、

そうした仮言命法の形で提示されている道徳的な規則自体は、その規則の背後にある仮定や条件として規定されている別の目的を達成するための手段として位置づけられているに過ぎないと考えられることになるのです。

スポンサーリンク

それ自体が無条件で善となる普遍的な道徳法則としての定言命法の位置づけ

そして、それに対して、

こうした二つの道徳的な命令形式のあり方の内の前者である

定言命法kategorischer Imperativ、カテゴリッシャー・インペラティフ)とは、ドイツ語において「無条件の命令形式」「断固とした規則」といった意味を表す言葉であり、

カントの倫理学においては、こうした定言命法と呼ばれる命令形式のあり方は、

仮言命法におけるような特定の仮定や条件による制約を受けずに人間の意志に基づく行為のあり方を無条件かつ絶対的に規定する命法のあり方として定義されていくことになります。

そして、

カントの『実践理性批判』においては、こうした定言命法に分類される道徳的な規則のあり方の具体例としては、

「決して偽りの約束をすべきではない」という命題の例が挙げられていくことになるのですが、

このように、

こうした定言命法と呼ばれる命令形式のあり方においては、

他のいかなる要素も前提や条件とせずに「~せよ」「~すべし」という端的な形で道徳的な命令が下されていると考えられ、

そうした、定言命法の形で提示されている道徳的な規則は、他のいかなる存在の手段ともされずにそれ自体が目的としてのみ位置づけられているそれ自体がそれ自身のみによって無条件で善となる普遍的な道徳法則として位置づけられていると考えられることになるのです。

スポンサーリンク

定言命法と仮言命法という二つの命令形式における三つの意味の違いのまとめ

そして、以上のような議論を踏まえた上で、

こうした定言命法仮言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式における具体的な意味の違いのあり方について、一言でまとめると、

①仮言命法の内にはその命令が正当化されるための仮定や条件が含まれているのに対して、定言命法の場合にはそうした仮定や条件は一切含まれずに無条件の形で人間が道徳的になすべき行為が規定されている。

②仮言命法の形で提示されている道徳規則はその仮定や条件となる別の目的を達成するための手段に過ぎないのに対して、定言命法の形で提示されている道徳規則は他のいかなる存在の手段ともされずにそれ自体が目的としてのみ位置づけられている。

③仮言命法に基づく道徳規則はその規則の前提にある仮定や条件が満たされる限りにおいてその実践が望まれるという相対的な意味における善であるのに対して、言命法に基づく道徳規則はいついかなる場合においてもその実践が常に求められているという絶対的な意味における善にして普遍的な道徳法則として位置づけられている。

という三つの点において、

こうした定言命法仮言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式のあり方の具体的な意味の違いを見いだしていくことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:自由意志と道徳法則と実践理性の三位一体の関係、カントの『実践理性批判』の冒頭部分における純粋実践理性についての記述

前回記事:カントの『実践理性批判』における定言命法の具体例と常にそれ自体として善なる普遍的な道徳法則としての定言命法の位置づけ

カントのカテゴリーへ

倫理学のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ