仮言命法とは何か?ドイツ語における具体的な定義とカントの『実践理性批判』における具体例
前回の記事で書いたように、カントの倫理学においては、道徳的な意味における善の実現は、
人間が自分の心の内にある道徳法則に自らの意志によって自発的に従って行動するという善意志の実現によってもたらされると捉えられていくことになるのですが、
カントの倫理学においては、そうした道徳法則における命法、すなわち、命令の形式のあり方は、
仮言命法と定言命法と呼ばれる二つの命令の形式のあり方に区分されていく形で捉えられていくことになります。
ドイツ語における仮言命法の意味とその概念が示す具体的な意味内容
まず、
こうした仮言命法と定言命法と呼ばれる二つの命令の形式のあり方のうちの前者である仮言命法(hypothetischer Imperativ、ヒュポテーティッシャー・インペラティフ)とは、
ドイツ語において「仮説に基づいた、仮定的な」という意味を表すhypothetischer(ヒュポテーティッシュ)と、「命令法、規則」を意味するImperativ(インペラティフ)が合わさってできた言葉であると考えられることになります。
そして、
こうした仮言命法においては、
その形式によって示されている命令のあり方の内には「~の場合には」「~するためには」といった仮定や条件が含まれていくことになり、
その背後には、その命令を実行することによって得られる何らかの成果や利益となるような別の目的が存在していると考えられることになります。
つまり、
こうした仮言命法と呼ばれる命令の形式においては、実際には、命令を実行すること自体にではなく、その命令を実行することによって得られる結果や成果の方に目的があり、
仮言命法における命令の内容自体は、あくまで、そうしたより重要な別な目的を達成するための手段として位置づけられているに過ぎないと考えられることになるのです。
カントの『実践理性批判』における仮言命法にあたる命題の具体例
例えば、
カント自身は、その主著のうちの一つである『実践理性批判』のなかで、こうした仮言命法にあける具体的な命題の例として、
「年をとって生活に困らないためには、若いうちに働いて倹約せねばならない」
という例を挙げていますが、
この例の場合、
確かに、「倹約しなければならない」あるいは「倹約すべし」といった命令の内容の内には、
欲望のまま贅沢にふけることよりも、節度を守って倹約することが善であり、道徳的に正しいことであるというある種の道徳規則へと通じるような倫理的な内容が含まれていると考えられることになりますが、
その一方で、
若い頃にいくら贅沢の限りを尽くしても到底その人一代では使い切ることができないような莫大な遺産がある場合や、
自分はいま現在の瞬間を精一杯楽しんで太く短く生きることを信条として、そもそもあまり長生きするつもりもないので、別に老後にお金がまったく残らなくてもかまなわないなどと考えている人については、
この命題の前半部分の「年をとって生活に困らないためには」という条件節にあたる部分を適用することができなくなってしまうと考えられることになるため、
それに伴って、後半部分の「倹約しなければならない」という道徳的な命令の内容についても、その命令の実行を正当化することができなくなってしまうと考えられることになります。
そして、このような意味において、
仮言命法における命令においては、その命令を実行する目的自体は、「年をとって生活に困らないためには」という条件や仮定の存在のうちに求められていて、
「倹約しなければならない」あるいは「倹約すべし」といった命令の内容自体は、そうした前述した目的を実行するための単なる手段として位置づけられているに過ぎないと考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
仮言命法(hypothetischer Imperativ)とは、
ドイツ語における意味においては、「仮説に基づいた命令法」や「仮定的な規則」のことを意味する言葉であると考えられることになります。
そして、
こうした仮言命法と呼ばれる命令の形式においては、
その命令の前提の内に「~の場合には」「~するためには」といった仮定や条件の存在が含まれていくことになり、
命令の内容自体は、そうした仮定や条件の背後にある目的を達成するための手段として位置づけられていくことになるという点に、
こうした仮言命法と呼ばれる命令形式のあり方の具体的な特徴があると考えられることになるのです。
・・・
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前回記事:カントの倫理学において善意志の本質が道徳的な感情ではなく道徳法則の内に求められる具体的な理由とは?
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