アンドロギュノスに関連する人間の三つの種族と同性愛の神話的起源
前回書いたように、
プラトン著のソクラテス対話篇の内の一つである『饗宴』では、古代ギリシアの悲劇詩人アガトンが語る神話的な物語の中において、
アンドロギュノスと呼ばれる太古の昔に存在し今は失われてしまった完全体としての人間のあり方が提示されることになるのですが、
正確には、『饗宴』において語られている完全体としての人間は、単一の種族として存在していたわけではないとされることになります。
それでは、彼らはどのような形で存在していたのか?というと、
太古の昔の神話の時代には、世界には、男女が合わさった両性具有としてのアンドロギュノスを含めて、全部で三つの種族が存在していたと語られることになるのです。
プラトンの『饗宴』における人間の三つの種族
プラトンの『饗宴』において、太古の昔に存在していたとされる完全体としての人間の姿は、
現在の姿における二人の人間が一つに合体し、身体の面でも文字通り一心同体となった姿をしていると語られているわけですが、
こうした二人で一つとなる人間の組み合わせは、男と女、すなわち、両性具有の組み合わせだけではなく、それと同様に、男と男、女と女の組み合わせも存在したと語られることになります。
つまり、
太古の昔に存在した完全体としての人間は、男と女の組み合わせだけではなく、男と男、女と女の組み合わせも含めた全部で三種類の種族がいたと考えられることになるのです。
三つの種族におけるエロスのあり方と同性愛の神話的起源
そして、
これらの人間の三つの種族において、それぞれが二つの存在、すなわち、男と女、あるいは男と男、女と女といった現在の人間の姿へと分かたれてから、
それぞれの種族において、両者の間で働くエロス、すなわち、自らの本来の完全な姿へと回帰しようとする原初的な欲求としての愛のあり方がどのようなものとなっていったのか?ということについては、『饗宴』の中では以下のように語られていくことになります。
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このように、人々は絶えず自分の片割れを求め続けているのだが、ところで、(現在の)男たちの中でも、たまたま昔、アンドロギュノス(両性具有者)と呼ばれていたものの半身にあたる者は、女好きとなっていて、…また反対に、男好きの女と呼ばれる者たちも、こうした昔両性体であったものの半身から成っているのである。
ところが(現在の)女性たちの中でも、かつて女であったもの(女と女の組み合わせ)の半身にあたる女たちは、男性に対してはさほど気持ちを傾けずに、むしろ女性の方へと惹かれていく。…
これに対して、かつて男であったもの(男と男の組み合わせ)の半身にあたる男たちは、男性のあとを追い求める。
そして、自分たちが少年である時代には、大人の男性へと愛を注ぎ、彼らと一緒にいることに喜びを見いだす。…
人々の中には、彼らのことを恥知らずな者のように言う人もいるが、その人たちは間違っている。
なぜならば、その少年たちが、そのように一人前の男たちに惹かれるという振る舞いをするのは、決して破廉恥な動機からではなく、むしろ、大胆さと勇気のためなのだから。
彼らは、その際、自分に似たものを追い求め、そのあとを慕っているのに過ぎないのである。
(プラトン著、『饗宴』、191節~192節)
・・・
つまり、『饗宴』においては、
人間は、太古の昔に分かたれてしまった自らの分身を探し求めようとする衝動に突き動かされることによって、互いに惹かれ合い、恋や愛と呼ばれる感情が芽生えることになると説明されることになるのですが、
その時に、自分の心がどのような相手に引きつけられるのか?という問題については、
その心が引きつけられる相手は、当然、かつて自分が一心同体となっていたペアの相手ということになるので、
かつて、男と女の両性具有の種族として生きていた者には、男は女を、女は男を愛するという異性愛の心が芽生え、
かつて、男と男、あるいは女と女という同性具有の種族として生きていた者には、男同士、女同士で愛し合うという同性愛の心が芽生えると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
プラトンの『饗宴』においては、
太古の昔に存在していた人間の種族には、両性具有と同性具有の二つのパターンがあり、
その両者共が同等に完全体としての人間の姿であるということが示されていると考えられることになります。
そして、
両性具有としてのアンドロギュノスが男女の間に働く異性愛の起源であるとされるのと同様に、
太古の昔の神話の時代に存在していたとされる男と男、女と女といった同性の個体が合わさって一つとなっていた種族の存在が、男と男、あるいは、女と女の間に働く同性愛の神話的起源であるとされることになるのです。
このように、
プラトンの『饗宴』においては、異性愛と同性愛が同様の神話的起源から説明される愛のあり方として、同列に語られていくことになります。
そして、こうした議論の中で、プラトンの思想においては、
同性愛という愛のあり方は、決して、恥知らずな行いでもなければ、不自然な愛のあり方でもなく、
自らの本来の完全な姿へと回帰しようとする原初的な欲求に根差した極めて人間的で自然な愛のあり方して肯定されるという主張がなされていると考えられることになるのです。
・・・
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前回記事:プラトンにおける人間の完全体としてのアンドロギュノス(両性具有)の概念とエロスの神話的起源
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