「銀河帝国興亡史」のガイアと『エンダーのゲーム』のハイブマインドの違いとは?両者の概念の間に存在する共通点と相違点
前々回と前回の記事で書いてきたように、1980年代を代表するSF小説の一つとして挙げられる作品でもある
1982年に発表されたアイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」シリーズのなかの『ファウンデーションの彼方へ』(Foundation’s Edge)と、
1985年に発表されたオースン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』(Ender’s Game)においては、
それぞれの作品の中で、ガイア(Gaia)とハイブマインド(Hive Mind)と呼ばれる個体としての人間や生物の個別的な意識を超えたある種の集合的な構造を持った意識のあり方が提示されていくことになります。
それでは、
こうしたアシモフの「銀河帝国興亡史」におけるガイアと呼ばれる概念と、カードの『エンダーのゲーム』において出てくるハイブマインドと呼ばれる概念との間には、
具体的に、どのような共通点と相違点があると考えられることになるのでしょうか?
「銀河帝国興亡史」のガイアと『エンダーのゲーム』のハイブマインドの両者に共通する生物学的な階層関係に基づく集合的な意識構造のあり方
まず、
こうした「銀河帝国興亡史」におけるガイアと『エンダーのゲーム』におけるハイブマインドの両者の概念の間には具体的にどのような共通点があるのか?ということについてですが、
それについては、例えば、「銀河帝国興亡史」シリーズのなかの『ファウンデーションの彼方へ』の中では、
ガイア(Gaia)とは、一つの惑星の上に生きているあらゆる生物たちの意識が一体となって形成される集団意識であるということが示されたうえで、さらに、こうしたガイアと呼ばれる意識の具体的なあり方について、
「わたしたちの上には、わたしの理解をはるかに超える集団意識がある。」(アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳『ファウンデーションの彼方へ(下)』、早川書房、224ページ。)
と述べられたうえで、
「それはちょうど、わたしの意識が、わたしの二頭筋の筋肉細胞ひとつの意識をはるかに超えているのと同じこと」(『ファウンデーションの彼方へ(下)』、225ページ。)
とも説明される場面が出てくることになります。
また、それと同様に、
『エンダーのゲーム』の中でも、バガーと呼ばれるハイブマインド(Hive Mind)を持つ知的生命体における女王を中心とする種族全体の集合的な意識のあり方のことを指して、
「一箇の個人なんですね、そして各バガーは手や足のようなものだ」(オースン・スコット・カード著、野口幸夫訳『エンダーのゲーム』、ハヤカワ文庫、438ページ。)
と語られているように、
これらの箇所においては、手足や腕の二頭筋を構成する個々の細胞と、その全体を統括している個人の意識との間に成立する関係という生物学的な比喩を通じて、ガイアやハイブマインドと呼ばれる集合的な意識の具体的なあり方が示されていると考えられることになります。
つまり、
こうしたガイアやハイブマインドと呼ばれる集合的な意識と、個々の人間や生物における一つ一つの個別的な意識との間には、
ちょうど、細胞全体を統括している個別的な意識と、手足などにおける一つ一つ細胞との関係と同様の関係性を持った構造が成立していると考えられ、
そうした個々の細胞と、個体としての生物、そして、そうした一つ一つの生物の集合体である種族全体または生態系全体における意識という
生物学的な階層関係に基づいて、集合的な意識の構造のあり方が捉えられているという点に、両者の概念の間における大きな共通点を見いだすことができると考えられることになるのです。
ガイアとハイブマインドとの間に存在する二つの大きな相違点とは?
そして、それに対して、
こうしたガイアとハイブマインドと呼ばれる集合的な意識のあり方の間の具体的な性質の違いとしては、
まずは、
『エンダーのゲーム』のハイブマインドにおいては、その集合的な意識の影響が及ぶ範囲が、バガーと呼ばれる一つの生物の種族の内に限定されているのに対して、
「銀河帝国興亡史」のガイアにおいては、そうした集合的な意識のあり方は、人間やバガーといった一つの生物の種族の内にとどまらずに、
一つの惑星の上に生きるあらゆる生物たち、さらには、その星の上に転がっている一つの石ころといった無生物的な存在をも含む意識のあり方として無制限に拡大していくことができる存在であると捉えられている点において、大きな違いを見いだすことができると考えられることになります。
また、
『エンダーのゲーム』に登場するバガーたちの意識においては、個体における個別的な意識のあり方や個性といったものはほぼすべてが捨象されていき、
ハイブマインド(集団知性)と呼ばれる種族全体の一つの巨大な知性と意識の内にほとんど完全に埋没していってしまうのに対して、
「銀河帝国興亡史」においては、ガイアと呼ばれる惑星全体の生物たちの意識の影響下にある生物たちは、個体における個別的な意識や個性を十全に保ったうえで、
あくまで、そうした一人一人の人間における個別的な意識とは別次元のレベルにおいて、より上位の卓越した存在としての集団的な意識のあり方として、ガイアと呼ばれる集合的な意識の存在が捉えられているといった点に、
それぞれの意識の位置づけのあり方における大きな違いを見いだすことができると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
「銀河帝国興亡史」におけるガイアと『エンダーのゲーム』におけるハイブマインドとの間に存在する主要な共通点としては、両者とも、
手足を構成する個々の細胞に対して、細胞全体を統括する個体としての生物の個別的な意識が存在するのと同様に、さらにそうした個別的な意識の全体を統括する集合的な意識の構造が存在するといった
生物学的な階層関係に基づいて、集合的な意識の構造のあり方が捉えられているといった点を挙げることができると考えられることになります。
そして、両者の概念の間の主要な相違点としては、
ハイブマインドにおいては、その意識が及ぶ範囲は、バガーと呼ばれる一つの生物の種族の内に限定されたうで、
そうした種族の集団意識の統制下にある個体における個別的な意識や個性は集合的な意識の内に埋没してしまう意識の構造のあり方をしているのに対して、
ガイアにおいては、その意識が及ぶ範囲は、人間やバガーといった一つの生物の種族に限定されずに、惑星全体のすべて生物や、さらには無生物にまで限りなく広がっていく意識のあり方をしていて、
そうした集団的な意識の存在と、個体における個別的な意識や個性の存在とは、別次元における意識の構造のあり方として、両者とも同時に存在することができるといった二つの点において、
両者の概念の間に存在する大きな性質の違いを見いだすことができると考えられることになるのです。
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次回記事:アシモフの「銀河帝国興亡史」とカードの『エンダーのゲーム』における宇宙観の違いとは?人類以外の知的生命体の存在の可否
前回記事:『エンダーのゲーム』におけるハイブマインド(集団知性)とは何か?バガーが有する女王を中心とする種族全体の集合的な意識
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