腐海の森が生まれた本当の理由とは?旧世界の人類の壮大な計画によって造られた人工の浄化装置としての腐海の森の真実の姿
「王蟲とは何か?腐海の森の命そのものを体現する再生の存在としての王蟲の姿」の記事で書いたように、
『風の谷のナウシカ』において描かれている腐海の森や、その番人である王蟲の存在には、
自然を破壊する人間の行いを戒める破壊者としての側面と、自らの死を苗床として新たな生命を生み出していく再生者としての側面という二面性が存在すると考えられることになるのですが、
映画版における内容のさらにその後へと続いていく長大な物語が描かれている漫画版の『風の谷のナウシカ』においては、
その物語の終盤において、こうした腐海の森や王蟲といった生態系自体が、実は、旧世界の人類の手によって造り出された人工物であったことが明かされるという大どんでん返しがなされたうえで、
こうした腐海の森や王蟲といった存在が人間の手によって生み出された本当の理由が解き明かされていくことになります。
約束された青き清浄の地と偽りの希望としての腐海の森の真実
冒頭でも述べたように、
漫画版の『風の谷のナウシカ』の最終巻である第七巻では、ついに、腐海の森が生まれた本当の理由が解き明かされていくことになるのですが、
その場面では、失われた旧世界の美しい自然の姿と詩と音楽とが忘れ去れることがないように保管されてきた旧世界の記憶の庭の不死の番人(ヒドラ)の口から、
腐海の森の真実の姿を解き明かそうと迫るナウシカと、彼女を守るために遠く腐海の森の奥地から魂を飛ばし、心だけになってその傍らに寄り添っているセルムという名の森の人に対して、
以下のような形で腐海の森についての秘密が明かされていくことになります。
・・・
「そなた達は腐海の意味に気づいているはずだ。なぜ腐海の尽きる所にすめないのかを。腐海がその役割を終えた時は共に亡びる時だとも。…」
「森の子よ。そなた達は腐海の尽きる地へいくたびも人を送り込んだはずだ。しかし誰ひとり戻らなかった。みな血を吐いて死んだからだ。」
「いまは聖地としてタブーになっておろう。肉体は拒絶され心でしかたどり着けない土地をなぜ希望などと偽り続ける?」
「そなたは知っている。人間の身体が素(もと)から変わってしまったことを。汚した世界に合うように。自分達だけではない。草や木や動物まで変えたのだ。」
「天地(あめつち)が清浄だった時のいきものが腐海のほとりにすめるはずがない。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、128~129ページ。)
ここで述べられている「腐海の尽きる地」というのは、人間の手によってまき散らされた毒を自らの内部に取り入れることによって汚染された現在の世界を浄化していく役割を担っている腐海の森が、その働きを全うすることによって創り出された腐海の森中央の最深部に存在する新世界の清浄の地のことであり、
それは、この物語の前半部分で語られている古き言い伝えにおいて、
「その者青き衣(ころも)をまといて金色(こんじき)の野に降りたつべし、失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん」
という言葉で語られている有名なセリフの中に示されている「青き清浄の地」のことを意味する現在の人類にとっての約束の地のことでもあると考えられることになります。
そして、
上記の不死の番人の言葉に基づくと、
腐海の森と共に生きる現在の世界の人類が、せっかく苦難の時代を生き延びて、浄化された清浄の地にたどり着いたとしても、
すでに汚染の広がった汚れた世界に適応してしまった現在の人類にとっては、そうした新たな清浄な世界の清浄さこそがかえって毒として働いてしまい、その地で生きていくことはできないということが語られていると考えられ、
つまり、この場面では、
記憶の庭の不死の番人の口を通じて、苦難の時代を生きる現在の人類にとっての唯一の希望であったはずの、そうした青き清浄の地と呼ばれる約束の地が、
せっかくそこにたどり着いたとしても、その場所に彼らが生きていくための席は用意されていないという偽りの希望にすぎなかったという残酷な真実が解き明かされていると考えらえることになるのです。
不死の番人に対するナウシカの反問と腐海の森が生まれた本当の理由
そして、
こうした記憶の庭を守る不死の番人が告げる腐海の森と共に生きる現在の世界の人々の希望をすべて打ち砕くような残酷な真実の宣告に対して、
ナウシカは、さらに先へと言葉をつないでいき、腐海の森の深淵なる真理を最後まであばき切ろうとする言葉を、不死の番人に対して突きつけていくことになります。
・・・
「永い間の疑問でした。世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと。…」
「浄化された世界に私達は憬(あこが)れてもそこでは生きられない。あなたは素(もと)からそう変わったと言いました。」
「自然に生まれた耐性ではなく、人間が自分の意志で変えたのですね?…」
「火の七日間の前後、世界の汚染がとり返しのつかぬ状態になった時、人間や他の生物をつくり変えた者達がいた。同じ方法で世界そのものも再生しようとした。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、130~131ページ。)
つまり、この場面では、
記憶の庭の不死の番人が、あえて詳しくは語ろうとしなかった腐海の森とそれと共に生きるように適応した現在の人類の出自についての核心となる真実が、ナウシカの発した鋭い反問の言葉によってすべてあばき出されていると考えられ、
そして、
こうした不死の番人とナウシカの間で繰り広げられた一連の言葉のやり取りの末に、森の人であるセルムとナウシカとの以下のような会話によって、腐海の森の真実の姿が完全に解き明かされていくことになります。
・・・
森の人「腐海は人の手が造り出したものというのですか!?」
ナウシカ「ええ。そう考えるとすべてが判ってきます。」
「たった数千年で腐海は不毛の大地を回復させようとしています。その役目がすんだら亡びるようにも定められている。」
「目的のある生態系。その存在そのものが生命の本来にそぐいません。」
「私達の生命は風や音のようなもの。生まれ、響き合い、消えていく。」
(『風の谷のナウシカ』第七巻、131~132ページ。)
ちなみに、この場面では、
上記のナウシカの「私達の生命は風や音のようなもの」という最後の言葉によって、
この物語自体に『風の谷のナウシカ』という「風」をモチーフとした題名がつけられているより深い理由についても示されていると考えられることになりますが、
以上のような漫画版の『風の谷のナウシカ』の終盤の場面における旧世界の記憶の庭の番人とナウシカとの間に繰り広げられた論争といっていいほどの激しい言葉のやり取りにおいて、
腐海の森が生まれた本当の理由とその真実の姿が解き明かされていると考えられ、
そこでは、
腐海の森と呼ばれる生態系全体が、人類の手によって破壊し尽くされ荒廃してしまった大地を数千年の時をかけて青き清浄の地へとよみがえらせ、
その役割を果たしたのちには、腐海の森と共にいきてきた現在の人間たちと共に滅び去るように定められているという
旧世界の人類の壮大な計画によって造り出された人工の浄化装置であったという真実が解き明かされていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:『風の谷のナウシカ』で語られている自然物と人工物、清浄と汚濁を超越した生命そのものの存在に至上の価値を見いだす思想
前回記事:『風の谷のナウシカ』で主人公の服の色が赤から青へ変わった理由とは?②王蟲の血の守りによってコーティングされた青き衣
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