『精神現象学』における蕾と花と実の弁証法の二通りの解釈とは?①、通常の解釈における植物の生命の弁証法的発展の捉え方
前回書いたように、18世紀後半から19世紀初頭のドイツの哲学者であるG.W.F.ヘーゲルの主著の一つである『精神現象学』の冒頭部分においては、
「蕾(つぼみ)」と「花」と「実(果実)」という三つの生物学的な概念の間に成立する弁証法的な発展構造が示されていると考えられることになります。
そして、こうした蕾と花と実の三者の間に成立する生命の成長と発展のあり方における具体的な弁証法の構造については、
弁証法を構成するテーゼ(定立)とアンチテーゼ(反立)、そして、ジンテーゼ(統合)へと至るアウフヘーベン(止揚・揚棄)の働きの捉え方において、互いに異なる二通りの解釈が成立すると考えられることになります。
蕾と花と実という三つの生物学的な概念のそれぞれがテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼという三つの論理的な概念に対応しているとする第一の解釈
前回書いたように、『精神現象学』の冒頭部分では、以下のような形で蕾と花と実の三者の間に成立する植物の生命における弁証法的な発展の構造が示されています。
蕾は花が咲くと消えてしまう。それゆえ、蕾は花によって否定されると言うことができるだろう。同じように、花は果実によって植物の偽なる定立であることが告げられ、その結果、植物の真なるあり方として果実が花に変わって登場することになる。
(ヘーゲル『精神現象学』序論)
この部分の記述では、
「蕾」と「花」と「実」という三者の間には、蕾は花によって否定され、花は実によって否定されるというように、一つの概念が自らを定立しては、そのことによって他方の概念を否定し、それに対して反立することになるという対立関係が示されると同時に、
そうした対立が新たな段階において乗り越えられることによって、新たな統一としての真なる生命のあり方が実現されることになるという植物における生命の弁証法的な発展の過程が示されていると考えられることになります。
そして、通常の場合、こうした弁証法的な発展の構造は、
上記の「蕾」と「花」と「実」という三つの生物学的な概念に対して、
弁証法を形成するテーゼ(定立)とアンチテーゼ(反立)そしてジンテーゼ(統合)という三つの論理的な概念のそれぞれが対応づけられることによって成立していると捉えることができると考えられることになります。
つまり、
こうした通常の解釈のあり方に従った場合、ヘーゲルの『精神現象学』の上記の箇所においては、
植物の生命においては、まず、「蕾」の存在がテーゼ(定立)として現れたうえで、その次に、こうした蕾のあり方に対して「花」の存在がアンチテーゼ(反立)されることになり、
そうした「蕾」と「花」の間の対立がアウフヘーベン(止揚)されることによって生じる新たなジンテーゼ(統合)のあり方として、「実」= 果実、種子という新たな生命が生み出されることになるという形で、
植物の生命において成立する弁証法的な成長と発展の構造が示されていると解釈することができると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
「蕾」と「花」と「実」という三つの生物学的な概念のそれぞれに対して、テーゼ(定立)とアンチテーゼ(反立)とジンテーゼ(統合)という弁証法における三つの論理的な概念が対応づけられると考える通常の解釈のあり方に従うと、
上記のヘーゲルの『精神現象学』の冒頭部分に示されている蕾と花と実の三者の間に成立する植物の生命の弁証法的発展のあり方は、
「蕾(=テーゼ)」と「花(=アンチテーゼ)」がアウフヘーベンされることによって、新た生命としての「実(=ジンテーゼ)」の存在が結実するという
一段階のみで完結した弁証法の構造として解釈されることになると考えられることになります。
それに対して、次回また改めて詳しく考えていくように、上記の植物の生命の弁証法的発展のあり方のもう一つの解釈としては、それを、
蕾から花へ、そして、花から実へと向かって発展していく二段階の弁証法的発展の構造として捉える解釈も成り立つことになると考えられることになるのです。
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次回記事:蕾から花、花から実へと展開する二段階の弁証法的発展の構造、『精神現象学』における蕾と花と実の弁証法の二通りの解釈②
前回記事:ヘーゲルの弁証法の原型となる『精神現象学』における植物についての生命の弁証法的展開の構造
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