ヘーゲルの弁証法の原型となる『精神現象学』における植物についての生命の弁証法的展開の構造
「「家族」と「市民社会」から「国家」へと向かう『法の哲学』におけるヘーゲルの弁証法のあり方とは?」の記事で書いたように、
ヘーゲル哲学において示されている様々な概念の弁証法的な発展の構造としては、彼の晩年の講義録が著作化された『法の哲学』における「家族」と「市民社会」と「国家」という三つの社会学的な理念の間に成立する弁証法的発展の構造が有名ですが、
こうしたヘーゲルにおける弁証法的な発展の構造のあり方が具体的に述べられている箇所は、その他の彼自身の著作の内にも数多く散見されることになります。
そして、その中でも、ヘーゲル自身の主著にあたる『精神現象学』の冒頭部分においては、「蕾(つぼみ)」と「花」と「実」という三つの生物学的な概念の間に成立する弁証法的発展の構造についての言及がなされていて、
そこでは、あらゆる弁証法的発展の構造の原型ともいえる概念として、こうした蕾と花と実の三者の間に成立する植物における生命の弁証法的展開の構造が示されていると考えられることになるのです。
『精神現象学』における植物についての生命の弁証法的展開の記述と解釈
18世紀後半から19世紀初頭のドイツの哲学者であるG.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年~1831年)の主著の一つである
『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes、フェノメノロギー・デス・ガイステス)の冒頭部分では、以下のような蕾と花と実の三者の間に成立する弁証法的な発展の構造が示されています。
蕾は花が咲くと消えてしまう。それゆえ、蕾は花によって否定されると言うことができるだろう。同じように、花は果実によって植物の偽なる定立であることが告げられ、その結果、植物の真なるあり方として果実が花に変わって登場することになる。…
これらの形式は、…同時に有機的統一の契機となり、この統一において各形式は互いに衝突しないばかりか、一方の形式は他方の形式と同じように必然的となる。この等しい必然性があってはじめて、全体としての生命が成り立つのである。
(ヘーゲル『精神現象学』序論)
『精神現象学』のこの部分の記述においては、まず、
「蕾」と「花」と「実」(果実)という三者の間には、蕾は花によって否定され、花は実によって否定される(「花は果実によって植物の偽なる定立を告げられる」)という植物の成長と発展の各段階における概念同士の間に成立する対立構造が示されていると考えられることになります。
しかし、
ヘーゲルにおいて、こうした生物の成長と発展の各段階における概念の対立は、単なる否定のみの対立関係だけにとどまり続けるわけではなく、
そうした三者の間の概念の対立は、「有機的統一の契機」、すなわち、植物全体の生命としての有機的な統一を生み出すきっかけともなっていて、
こうした生命の有機的な統一の内では、「一方の形式」と「他方の形式」、すなわち、「蕾」と「花」という二つの部分的な概念は、どちらも同等に必然的な存在として肯定されることになります。
つまり、
「蕾」と「花」と「実」という三者は、互いに互いを否定し合う対立関係にありながら、植物としての有機的な統一の内では等しく必然的な存在として肯定されていくことによって、
「全体としての生命」、すなわち、植物の全体における生命の有機的な統一と調和が成り立っているということであり、
逆に言えば、
そうした植物における生命体としての有機的な統一は、
花の生は蕾の死によってのみ成立し、実の生は花の死によってのみ成立するというように、
植物の発展の各段階に位置する蕾と花と実の三者の間に成立する否定と対立の関係を根拠とすることによってはじめて成立しているとも考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
上記のヘーゲルの主著である『精神現象学』の冒頭部分の記述においては、
「蕾」と「花」と「実」の三者は、
部分としては、互いに互いを否定し合う対立関係にあるものの、
全体としては、植物の生命を成り立たせている生命の有機的な統一の内において、互いに必然的な存在として肯定されているということが語られることによって、
「蕾」と「花」と「実」という三つの生物学的な概念の間に成立する弁証法的な発展構造が示されていると考えられることになります。
そして、詳しくは、また次回改めて考えていくように、
こうした「蕾」と「花」と「実」の三者の間に成立する弁証法的展開のあり方においては、
テーゼ(定立)とアンチテーゼ(反立)、そして両者の概念を高次の段階においてジンテーゼ(統合)するアウフヘーベン(止揚・揚棄)の働きの捉え方について、
互いに異なる二通りの解釈が存在するとも考えられることになるのです。
・・・
次回記事:『精神現象学』における蕾と花と実の弁証法の二通りの解釈とは?①、通常の解釈における植物の生命の弁証法的発展の捉え方
前回記事:理念の超越的な自己展開の力としてのヘーゲルにおける人間と国家の弁証法的発展の構造、ヘーゲル歴史哲学の整合的解釈③
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