「アウフヘーベン」が日本語では「止揚」や「揚棄」として訳される理由とは?保存と廃棄という二要素への焦点の当て方の違い
前回書いたように、哲学的な概念としてのアウフヘーベン(Aufheben)は、主に、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)からジンテーゼ(合)へと向かう論理展開のあり方に特徴をもつヘーゲルの弁証法哲学において用いられている概念であり、
それは一言でいうと、
「あるものを否定すると同時に、それをより高次の段階において生かすことによって肯定側と否定側の両者の概念を統一する」という破格の論理展開のあり方を意味すると考えられることになります。
そして、こうしたヘーゲルの弁証法哲学における哲学的な概念としてのアウフヘーベンという言葉は、日本語では、「止揚」または「揚棄」として訳されることになるのですが、
それでは、具体的にどのような理由から、こうした「止揚」と「揚棄」という言葉がアウフヘーベンという概念の訳語として用いられていると考えられることになるのでしょうか?
止めてから引き上げる「止揚」と、引き上げると同時に捨て去る「揚棄」という二つの訳語におけるアウフヘーベンの捉え方の違い
前回の記事でも書いたように、ヘーゲルの弁証法哲学におけるアウフヘーベンと呼ばれる思考の働きにおいては、
解消する(否定する)・高める・保存するという三つの要素のすべてを同時に満たす形で論理展開が進んで行くと考えられることになるのですが、
「止揚」(しよう)と「揚棄」(ようき)というアウフヘーベンの日本語における訳語にあたる言葉も、上記の①否定・②上昇・③保持という三つの要素との兼ね合いからその意味が説明されていくことになると考えられることになります。
そうすると、まず、
「止揚」とは、その漢字自体の意味がそのまま示すように、
思想同士の対立をいったん止めてから、それを高次の段階へと引き揚げることによって、新たなより優れた概念による思想の統一を目指すことを意味していると考えられることになるので、
こうした「止揚」という訳語のあり方は、アウフヘーベンという概念に含まれる三つの概念のうちの②上昇と③保持という後半の二つの要素をより重視する形で訳されることによって生まれた言葉であると考えられることになります。
それに対して、
「揚棄」という言葉の方は、
対立する思想をより高次の段階へと引き揚げて、新たな統一をもたらすと同時に、元の両者の概念の存在自体は棄て去り消し去ってしまうという思考のあり方を意味していると考えられることになるので、
こうした「揚棄」という訳語のあり方は、アウフヘーベンという概念に含まれる三つの概念のうちの①否定と②上昇という前半の二つの要素をより重視する形で訳すことによって生まれた言葉であると考えられることになります。
つまり、
「止揚」の方は、二つの対立する思想の間に生じている抗争をいったん止めてから、それぞれの概念の内に含まれる思想の本質自体は保存したまま、それをより高次の段階へと引き上げることによって新たな統一をもたらすという思考のあり方を意味するのに対して、
「揚棄」の方は、そうした対立する二つの思想や概念が高次の段階へと引き上げられることによって統一されていく際に、元となる両者の概念自体は否定され、廃棄されてしまうことになるという点に焦点が当てられているというところに、
両者の訳語の間の微妙な意味合いの違いがあると考えられることになるのです。
「止揚」と「揚棄」のどちらの方がより適切な訳語であると言えるのか?
それでは、ヘーゲルの弁証法哲学におけるアウフヘーベン(Aufheben)という哲学的な概念に対する訳語としては、
上記の「止揚」と「揚棄」という二つの言葉のうち、どちらの方がより適切な訳語であると考えられるのか?ということですが、
まず、
「止揚」が意味する「止めてから上げる」という表現の方はともかく、「揚棄」が意味する「何かを重要なものとして引き上げながら、それを同時に捨ててしまう」というのは、
一見すると、何を言っているのか分からない単なる矛盾した表現であるようにも思われてしまうことになるので、
一般的な訳語としては、対立する二つの思想の間の抗争をいったん止めてから、それを高次の段階へと引き上げることによって、より優れた概念や思想を生み出すという「止揚」という表現の方が、
アウフヘーベンという言葉の一般的なイメージをつかみやすい分かりやすい訳語のあり方であると考えられることになります。
しかし、その一方で、具体的には次回以降の記事で改めて考察していくように、
否定されることによって新たに生まれ、分裂することによって新たな統一がもたらされるというのは、ヘーゲルの弁証法哲学における思考の進め方の重要な特徴の一つともなっているので、
そういう意味においては、こうした「揚棄」とい表現のあり方の方が、ヘーゲルの弁証法哲学におけるアウフヘーベンという思考のあり方の本質をよく表わしている訳語であるとも考えられることになります。
つまり、
「揚棄」という一見すると矛盾する表現のつなぎ合わせのようにも見える難解な訳語のあり方にも示されているように、
対立による調和、分裂による統一、否定による発展といった、
矛盾を超越した動的な論理展開のあり方にこそ、アウフヘーベンと呼ばれるヘーゲルの弁証法哲学における思考の進め方の本質があるとも考えられることになるのです。
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次回記事:「家族」と「市民社会」から「国家」へと向かう『法の哲学』におけるヘーゲルの弁証法のあり方とは?
前回記事:アウフヘーベンとは何か?ヘーゲルの弁証法哲学における「アウフヘーベン」の具体的な意味とは?
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