三段論法の形式に基づく神の存在証明とは?①神の完全性に基づく実在性の論証、妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例④
前回書いたように、神の存在証明と呼ばれるような形而上学的な論証の議論において、実在性の論証の対象となっている神の定義とは、
キリスト教における神の定義にみられるような全知全能と呼びうる完全性と絶対性を兼ね備えた世界の創造主としての神の概念であると考えられることになります。
そして、三段論法の形式に即してこうした神の存在証明と呼ばれる形而上学的な論証を行う演繹的推論の具体例としては、
例えば、上記のような神の定義のうちの完全性と創造主という二つの定義のそれぞれに基づいて推論が進められる三段論法の形式を用いた二つの論証のパターンが考えられることになります。
すべての肯定的な性質をあわせ持つ状態としての神における完全性の定義
まず、「神が完全性を有する」ということの具体的な意味はどのようなところにあるのか?ということについてですが、
例えば、
「完全な自由」と言えば、それは、具体的な行動や言論、表現といった点においても、思想や信条、信仰といった内面においてもいかなる拘束も受けず、
あらゆる点において制約を受けずに自らの意思のままに主体的に振る舞うことがでるという身体面と精神面の双方における全面的な自由のことを意味すると考えられるように、
ある存在が完全性を有するするということの具体的に意味は、その存在が議論の対象となっている事柄に含まれるすべての要素を余すところなく全面的に有している状態のことを意味すると考えられることになります。
そして、
神については、それが全知全能の存在と呼ばれるように、
能力や知性、あるいは道徳性といったすべての肯定的な性質のことを指して、それらのすべての要素について完全性を有すると定義されていると考えられることになります。
したがって、
「神が完全性を有する」ということの具体的な意味は、この世界に存在する肯定的な性質のすべてを有している状態、すなわち、
能力や知性、あるいは道徳性といったすべての肯定的な性質をあわせ持っている状態のことを指して完全性という言葉が用いられていると考えられることになるのです。
神の完全性に基づく実在性の論証
そして、以上のような完全性の定義に基づくと、
そうした完全性のうちには、能力・知性・道徳性、真・善・美といったこの世界に存在するありとあらゆる肯定的な要素がすべて含まれていると考えられることになりますが、
ここで、「実在」に対して「非実在」は否定的な概念であり、その反対に、「実在」や「存在」といった概念は肯定的な属性として捉えることができるように、
完全性という概念に含まれているあらゆる肯定的な性質の内には、対象となる事物が現実において実際に存在するという実在性という性質も含まれていると考えられることになります。
つまり、
完全性を有する存在は、実際に現実の世界の内に実在するとも考えられることになるということです。
そして、いま述べた「完全性を有するものは実在する」という命題と、冒頭で述べた「神は完全性を有する」という二つの前提となる命題からは、
以下のような三段論法の形式を用いた推論を展開することができると考えられることになります。
大前提:すべての完全性を有するものは実在する。
小前提:ある神は完全性を有する。
結論:ゆえに、ある神は実在する。
そして、
上記の三段論法の推論は、「24種類の妥当な三段論法の形式」の記事で挙げた24通りの妥当な三段論法の形式のうちの一つである第一格AII式を用いた演繹的推論に該当することになるので、
この推論は、前提が真である限り、三段論法の形式のみによって結論も必然的に真となる演繹的推論として認めることができると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
神という存在を、知性や能力、真・善・美といったすべての肯定的な要素を欠けるところなくあわせ持った完全性を有する存在として定義することができるとするならば、
そうした神が有する完全性のうちには、現実における実在性という要素も含まれることになるので、
神は完全性を有する存在であると定義することができるとする限り、そうした完全性を有する存在としての神は、現実の世界においても必然的に実在するということが
妥当な三段論法の形式を用いた演繹的推論によって形而上学的に論証することができると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:三段論法の形式に基づく神の存在証明とは?②究極の原因としての神の存在証明、妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例⑤
前回記事:神の存在証明において実在性の論証の対象となる神の定義とは何か?完全性と絶対性を有する創造主としてのキリスト教的な神
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