神の存在証明において実在性の論証の対象となる神の定義とは何か?完全性と絶対性を有する創造主としてのキリスト教的な神
三段論法を用いた推論の具体例②と三段論法を用いた推論の具体例③の記事で書いたように、「不死なるもの」としての神の定義に基づいて、そこから妥当な三段論法の形式を用いた推論を展開することによって、
「偶像は神ではない」という命題や、「人間は神ではない」という命題の形而上学的な論証を行うことができると考えられることになるのですが、
こうした神という概念についてのさらに厳密な定義と、妥当な三段論法の形式を駆使することによって、もう少し込み入った議論についても形而上学的な論証を試みることもできると考えられ、
例えば、中世のスコラ哲学からデカルトに代表される近世哲学にかけて形而上学的な議論の中心となった神の存在証明の議論についても、
こうした三段論法の推論を用いることによって得られるいくつかの形而上学的な論証のパターンを提示することができると考えられることになります。
今回は、そうした三段論法を用いた神の存在証明を行うための前提として、神の存在証明において論証の対象となる神とは、具体的にどのような概念として定義されることになるのか?ということについて考えていきたいと思います。
広義における神の定義と狭義における神の定義の違いとは?
まず、こうした神の存在証明において論証の対象となる神とは、具体的にどのような属性を持つものとして定義されることが必要となるのか?ということについてですが、
例えば、
ギリシア神話の中に出てくるオリンポス十二神が現実の世界の内に存在していて、竪琴を持ったアポロンや、弓と矢筒をかついだアルテミスといった神々は、確かに「不死なるもの」としての神の定義は満たしているものの、
そうした神々が現実の世界の太陽や月に実際に住んでいると考える人はまずいないように、
ギリシア神話やローマ神話といった多神教の宗教における神話の中に出てくる神々の多くは、あくまで、神話という物語の内にのみ存在する神であって、
現実の世界に実際に存在する実在する神として捉えることはできないと考えられることになります。
したがって、
神の存在証明の議論において論証の対象となる神の概念とは、単なる不死なる存在としての神の定義以上の属性を持った概念として定義されることが必要であり、
それは、例えば、「あらゆる宗教に共通する神の普遍的な性質とは何か?」の記事で考察したような
善性、完全性、絶対性、無限性、永遠性、唯一性、創造主といった一般的に取り上げられることが多い七つの神の属性のすべてを同時に有しているようなものとして捉える方がより適切であると考えられることになります。
つまり、
ギリシア神話やローマ神話、さらには神道やゾロアスター教といった古今東西のあらゆる宗教における神々にも共通するような「不死なるもの」としての神という定義を広義における神の定義とするならば、
神の存在証明の議論において論証の対象となる神の概念は、
キリスト教における唯一神としての神に代表されるような上記の七つの神の属性すべてを有するものとしての狭義における神の定義に基づく神の概念であると考えられることになるのです。
完全性と絶対性を有する世界の創造主としてのキリスト教的な神の定義
以上のように、
神の存在証明において実在性の論証の対象となっている神の定義とは、ギリシア神話やローマ神話の神々にもあてはまる単なる「不死なるもの」としての広義における神の定義ではなく、
善性・完全性・絶対性・無限性・永遠性・唯一性・創造主といった超越的な属性をすべてあわせ持つような狭義における神の定義であると考えられることになります。
つまり、
キリスト教における神の定義にみられるような全知全能と呼びうる完全性と絶対性を兼ね備えた世界の創造主としての神の概念こそが神の存在証明の議論における形而上学的な論証の対象となっていると考えられるということです。
そして、
そうしたすべての肯定的で超越的な属性をあわせ持つような至高者としての神ならば、神話や物語といった人間の頭の中の想像の世界を飛び越えて、現実の世界においても必然的に実在する存在として位置づけることができるのではないか?という観点から、
神の存在証明についての形而上学的な議論が進められていくことになると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:三段論法の形式に基づく神の存在証明とは?①神の完全性に基づく実在性の論証、妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例④
前回記事:人間は不完全であるがゆえに神ではないのか?それとも不死ではないがゆえに神ではないのか?
「論理学」のカテゴリーへ
「神とは何か?」のカテゴリーへ