歴史上の伝承におけるファウスト博士とゲーテにおけるファウストの人物像の違いとは?
「ドイツのファウスト伝説の由来となった三人の歴史上の人物」の記事で書いたように、
ゲーテ作の長編戯曲『ファウスト』の題材となったドイツのファウスト伝説の直接的な由来となった歴史上の人物としては、ヨハンネス・ファウストや、ゲオルク・ファウスト、そしてヨハン・ゲオルク・ファウストという三人のファウスト博士の名が挙げられることになります。
それでは、こうした歴史上の人物としてのファウストと、ゲーテの物語の中におけるファウストの人物像には具体的にどのような違いと共通点があると考えられることになるのでしょうか?
人物像の共通点と悪魔との契約によって得た力を使う方向性の違い
まず、
上記の三人のファウスト博士たちの伝承がもととなったドイツのファウスト伝説と、ゲーテ作の長編戯曲『ファウスト』における共通点としては、
両者のどちらの場合においても、主人公であるファウスト博士は、探究心が旺盛で強い意志を持った野心的な人物として描かれていて、
自らの心の内から湧き出る強い好奇心と力への意志を満たすために、悪魔に自らの魂を売り渡す契約を結んでしまうという点が挙げられることになります。
そして、
どちらの場合においても、ファウストは、そうした契約によって得た悪魔の力を利用して、自らの欲望を思うがままに満たしていくことになるのですが、
一般的なファウスト伝説においては、ファウストは、贅沢な暮らしや肉体的な享楽といった世俗的な欲望を満たすために悪魔の力を用いていくのに対して、
ゲーテの『ファウスト』における主人公であるファウストは、そうした世俗的な欲望にも心を傾けながらも、美しいものを追い求めるという彼自身が定めた自らの人生の目的を果たすためにその力を使い続けていくという点に、
両者における悪魔との契約によって得た力の使い方には、その方向性に若干の違いがあると考えられることになります。
そして、
こうしたそれぞれのファウストにおける人格と方向性の微妙な違いが、最終的には物語の終幕の場面における大きな違いへとつながっていくことになるのです。
非業の死を遂げるファウストと至福の死と魂の救済を得るファウスト
歴史上の伝承におけるファウスト博士は、錬金術の実験中の爆死や、空中飛行の失敗による墜落死といった差こそあれ、
すべての伝承において、彼はその人生の終末において、非業の死を遂げることになり、悪魔との契約の文言に従って、その魂は地獄へと落とされることになります。
しかし、それに対して、
ゲーテの『ファウスト』においては、主人公であるファウストは、ひたすら自らの心に適った美しいものを追い求めた末に、自分自身の手で未来の人々のために理想郷を建設するという大事業の実現に挑み、
最終的に、そうした善なる創造の業が実現する最善にして最も美しい瞬間を心に思い描きながら、心の内が満たされきった至福の瞬間の中でその生涯を終えることになります。
そして、善く美しいものを追い求めて努力し続けたファウストの魂は、悪魔メフィストフェレスとの地上の契約を超えて、天使たちの手によって天上の世界へと引き上げられ、そこで永遠なる魂の救済を享受することになるのです。
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以上のように、
ファウスト伝説の由来となった歴史上の人物としてのファウストと、ゲーテが書いた長編戯曲の中の登場人物としてのファウストには、
探究心が旺盛で強い意志を持った野心的な人物であるといった大まかな人物像や、悪魔メフィストフェレスとの契約によって莫大な力を手にする代わりに、自らの魂を悪魔に売り渡す契約を結んでしまうといった点に共通点がみられると考えられることになります。
しかし、物語の終末において、
歴史上の伝承におけるファウスト博士は、悪魔との契約に従って、非業の死を遂げ、その魂は地獄へと落とされてしまうという悲劇の結末を迎えるのに対して、
ゲーテの『ファウスト』における主人公としてのファウストは、たとえそれが悪魔との契約によって得た力を用いることによってもたらされたものであったとしても、
常に善く美しいものを追い求めて努力し続けたことによって、心の内が満たされきった至福の瞬間の中でその生涯を終えることになり、死後にその魂は天上の世界へと引き上げられるという魂の救済の物語が語られているという点において、
両者のファウスト像には大きな違いがみられると考えられることになるのです。
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前回記事:グノーシス主義における二世界論とゲーテ『ファウスト』における魂の救済
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