快楽計算とは何か?①社会全体の幸福のあり方を算定する七つの構成要素
「最大多数の最大幸福とは何か?②ベンサムの功利主義における身体的快楽の総和としての最大幸福」で書いたように、
ベンサムの提唱した功利主義においては、人間が感じる幸福のすべては、根底では身体的快楽によって基礎づけられるものであり、
そうした快楽と幸福のすべては、量的に計算し、互いに比較することが可能なものとして捉えられることになります。
そして、
そうした人間が行う行為や政策の帰結として生じる個人そして社会全体の幸福のあり方を算定するために用いられる具体的な計算手法が
快楽計算(calculation of pleasure、カルキュレーション・オブ・プレジャー)または幸福計算と呼ばれる手法ということになるのです。
快楽計算の基準となる七つの構成要素
冒頭で述べたように、
ベンサムの量的功利主義においては、
人間が感じるあらゆる快楽と幸福は、量的に比較検討することが可能であり、それを快楽計算と呼ばれる手法によって集計することによって、社会全体の幸福のあり方自体を算定することができると考えられることになるのですが、
ベンサムはその主著である『道徳と立法の諸原理序説』(1789年刊行)において、そうした快楽計算の基準となる要素として、以下のような七つの構成要素を提示しています。
それは、
快楽の強度、持続性、確実性、遠近性、多産性、純粋性、適用範囲という
七つの要素です。
つまり、
快楽や幸福は、その快感の度合いが強く(強度)、長く続く(持続性)ほどより望ましいものであり、
その快楽が未来に得られる予定のものであるならば、それが稀にしか得られないよりは確実に得られる可能性が高い(確実性)方が良く、遠い将来よりは近いうちすぐに得られる(遠近性)方が良い。
また、一つの快楽が単発で終わってしまうよりは、そこから他の別の快楽が連鎖的に副次的に表れる(多産性)方が良く、
得られる快楽の副作用として何らかの苦痛が混じってしまうよりは純粋に快楽のみを味わえる(純粋性)方がより良い。
そして、特定の快楽を享受することができる人数は多ければ多いほど良く、広い範囲の人々が同時に快楽を享受できる(適用範囲)ことが望ましいということです。
望ましい快楽と不要で有害な快楽
以上のように、
ベンサムの功利主義における快楽計算においては、
上記の七つの構成要素のそれぞれの項目における快楽のあり方が考慮されることによって、特定の行為や政策がもたらすことになる快楽の総量についての適切な算定がなされると考えられることになります。
つまり、
道徳において、動機や意志ではなく、行為の結果もたらされることになる快楽や幸福を重視する功利主義の思想においても、快楽が得られるならば、それはどのような快楽のあり方でも是とされるわけではなく、
要素ごとの快楽計算の結果得られた値を足し合わせた総合点がより高く、それぞれの構成要素をバランス良く満たす快楽が望ましい快楽であり、
反対に、
快楽計算の総合点が低く、構成要素のバランスも悪い不安定な快楽は、かえって苦痛の方を多く生んでしまう可能性の高い不要で有害な快楽として退けられることになるということです。
そして、
そうした快楽計算における個々の要件と全体のバランスを十分に満たす望ましい快楽を実現することができる行為や政策が、
個人そして社会全体の幸福を増大させる良い行為、良い政策として、功利主義において肯定されることになると考えられるのです。
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快楽計算を構成する上記の七つの要素は、それぞれの要素の性質上の違いから、さらに、
強度、持続性、確実性、遠近性という四つの基本的要素と、多産性、純粋性、適用範囲という三つの派生的要素へと分類されることになるのですが、
次回からは、
快楽計算におけるこうした七つの構成要素のそれぞれが、具体的にどのような基準に基づいて評価され、各要素における快楽のあり方が算定されることになるのかということについて、一つ一つの構成要素について具体例を挙げながら詳しく考えていきたいと思います。
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次回記事:快楽の強さを客観的に数値化する方法とは?その1、貨幣の限界効用逓減の問題、快楽計算とは何か?②
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