ベンサムの量的功利主義とミルの質的功利主義の違いとは?①快楽の質的な差異と精神的快楽の重視
「最大多数の最大幸福とは何か?ベンサムの功利主義における身体的快楽の総和としての最大幸福」で書いたように、
ベンサムの功利主義においては、功利(utility、効用、有用性)とは、人間の身体に対して快感をもたらし、苦痛を避けるという身体的快楽に根差す概念であると捉えられ、
すべての快楽と幸福は、身体的快楽をベースに置く快楽として同列に量的に計算可能であるとみなされることになります。
そして、
こうしたすべての快楽と幸福は快楽計算によって量的に比較可能であると考えるベンサムの功利主義を量的功利主義であると捉えることができるとするならば、
これに対して、
快楽と幸福に質的な視点を導入したミルの功利主義は、質的功利主義と呼ぶことができると考えられることになります。
ベンサムの功利主義とカントの義務倫理学からの影響
功利主義に質的な視点を導入したイギリスの経済学者にして哲学者でもあるジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年~1873年)は、
功利主義の提唱者であるジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham、1748年~1832年)と共に、功利主義に基づく社会改革運動を進めていたジェームズ・ミル(James Mill、1733年~1836年)を父とする哲学者です。
そのような経緯から、
ジョン・スチュアート・ミルは、父であるジェームズ・ミルから自分の功利主義の思想を受け継ぎ、その思想に基づく社会改革運動を担うべき後継者として育てられていくことになるのですが、
そうした父ミルから受けた一方的な教育への反動もあり、息子であるジョン・スチュアート・ミルは、一時期、功利主義の倫理思想とは対極にあるドイツ観念論やカントの義務倫理学の影響を強く受けた思想を展開することになります。
そして、そのような思想の変遷を経たのち、
最終的にミルは、行為の結果生じる効用を重視し、社会全体の幸福の最大化を図るという功利主義の思想を基本的に受け継ぎながらも、目に見える身体的な快楽ではなく、人間の意志や心の内面における精神的快楽も重視するという形で、
ベンサムや父であるジェームズ・ミルが推し進めてきた功利主義の思想を批判的に継承し、その理論を新たな形で再構築していくことになるのです。
快楽の質的な差異と精神的快楽の重視
そして、
こうした新たな形で提示されたミルの功利主義においては、彼の主著である『功利主義論』においても「ある種の快楽は他の快楽よりもいっそう望ましく、いっそう価値のある」ものであると書かれているように、
快楽には質的な差異があると主張されることになります。
そして、
快楽の種類を二つに分けるとすると、
それは、人間の身体に直接的に快感がもたらされる身体的快楽と、身体とは直接は関わりのない知的快楽や人間関係によってもたされる精神的快楽に大別されると考えられることになりますが、
ミルにおいては、両者の快楽の質を比較すると、以下のような論理から、身体的快楽よりも精神的快楽の方が質の高い快楽として重視されるべきと主張されることになります。
例えば、
美味しいものを食べるという身体的快楽は、食べ終わってしばらくするとまたすぐにお腹が空いてきてしまう上に、その快楽をより強く満たし続けようとすると、より希少で美味な食材を求めることによって、その快楽のために費やす時間もお金もどんどん増大していくことになると考えられることになります。
それに対して、
素晴らしい本を読んで感動したといった精神的快楽においては、時間が経ってもその感動の元となった知識自体が失われることはないですし、その知的快楽を改めて深く味わおうとする時にも、読んだ本は食べ物と違って味わったらなくなってしまうことはないので、同じ本をそのまま読み返すか、自分の頭の中にある記憶を思い返すだけでも好きなだけその快楽を呼び起こすことができると考えられることになります。
このように、
精神的快楽は、身体的快楽よりも永続性・安定性・低費用性などの点で優れているので、質においてより優れた価値の高い快楽であると捉えられることになるのです。
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以上のように、
ベンサムの量的功利主義を批判的に継承することによって新たに提唱されたミルの質的功利主義においては、
快楽の質的な差異が認められたうえで、食欲の充足などの身体的快楽と比べて、知的快楽や人間関係などから得られる精神的快楽の方がより質が高い価値のある快楽として重視されることになります。
それでは、ミルが主張するように、快楽の内に質的な差異があると認められるとすると、そうした個々の快楽の間にある質の優劣の判断は誰によって、どのような基準で、何を根拠として下されることになるのでしょうか?
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次回記事:ベンサムの量的功利主義とミルの質的功利主義の違いとは?②善悪の判断の基準と根拠となる知識
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