功利主義における個人主義と社会全体の幸福の最大化のジレンマ②、いじめを止める行為が悪とされてしまう論理
前回書いたように、
功利主義における個人主義と幸福の最大化のジレンマを解消するためには、個人主義の原理の方を幸福の最大化の原理よりも根底にあるより根源的で優先的な原理として規定することが必要であり、
それによって、多数者の幸福のためには少数者の犠牲をいとわないといった悪しき力の論理への誘惑を断ち切ることもできると考えられることになります。
しかし、
このように、功利主義における個人主義の原理を絶対化して捉えることは、また別の新たな道徳上の問題へとつながってしまうとも考えられることになります。
それは、個人主義に基づいて、いじめや差別、迫害といった少数者の犠牲を強いる形での多数者の幸福の最大化を図る行為を悪とすることによって、
今度は、そうした少数者に対するいじめや迫害行為を止めようとする行為もまた悪とされることになってしまうという問題です。
いじめを止める行為が悪とされてしまう論理
個人主義の原理が功利主義の前提にある最も根源的で優先されるべき原理であることが認められることによって、
たとえ、いじめや迫害行為によって多数者の幸福の最大化が得られるとしても、それは少数の立場に置かれた個人を犠牲することになってしまうので、そのような行為は個人主義の原理に反する悪なる行為として否定されることになります。
しかし、
こうした考え方に基づくと、上記のものと同じ論理を用いることによって、以下のようなことも同時に成り立ってしまうと考えられることになるのです。
例えば、
ある善良な勇気ある人物が、大勢の人々によってたかっていじめられている少数の人々を助けようとする時、
そのような規模が大きくなってしまったいじめを止めようとする行為は、自分たちのうっぷん晴らしになっているいじめ行為を止められることを不満に思う多数者からの手痛い報復を加えられたり、自分が逆にいじめの新たなターゲットにされてしまうといった大きなリスクを伴うことになるので、
いじめを止めようとする当人の身体と心理面において大きな苦痛と害がもたらされる可能性の高い行為であると考えられることになります。
するとそれは、結局、
いじめられている少数の人々を助けようとする行為が、その行為を遂行する当人の幸福を損ない、苦痛を増大させるという個人の犠牲によって成り立っているということを意味することになります。
そして、
先ほどの個人主義の原理を最も根源的で優先されるべき原理として重視する考え方に基づくと、
別の個人や集団全体の利益のために個人の身体的・心理的快楽が犠牲になるあらゆる行為は道徳的に否定されることになってしまうので、
上記のような、いじめを止めようとすることによって自らの身を危険にさらす行為は、個人の身体的・心理的快楽の総和を減少させる悪しき行為として否定されてしまうと考えられることになるのです。
つまり、
個人主義を重視する功利主義の立場においては、
いかなる場合においても、別の個人や集団全体の利益のために個人を犠牲にすることは許されず、そうした行為は悪しき行為として切り捨てられることになるので、
それは、
少数の立場に置かれた個人を犠牲にすることによって多数者の幸福の最大化を図ろうとするいじめや迫害行為を許されざる悪しき行為として断罪することを意味すると同時に、
現に行われているいじめや迫害を止めようとする行為も、それが個人を犠牲にする行為であるという点において、行うべきではない悪しき行為とされてしまうということを意味することになるのです。
・・・
以上のように、
功利主義における個人主義の側面を重視することによって、
いじめや迫害行為が悪しき行為であると規定されるだけではなく、そうしたいじめや迫害を止める行為もまた悪しき行為であると規定されることになってしまうと考えられることになります。
しかし、
社会全体の幸福の最大化のみを重視することによって、集団の幸福の最大化を図るために行われるいじめや迫害行為を善き行為であるとすることが人間の心情において極めて受け入れ難い考え方であるのと同様に、
そうしたいじめや迫害を止めようとする英雄的精神に満ちた勇敢な利他的行為が悪しき行為であると規定されてしまうこともまた心情的には極めて受け入れ難い考え方であると考えられることになります。
したがって、
こうした功利主義における人間の道徳的な心情との乖離という問題点を根本的に解決するためには、
身体的・心理的快楽の総和としての幸福の量的な最大化と個人主義という二本柱だけではまだ不十分であり、それ以上の何らかの基準がさらに求められることになるのです。
・・・
次回記事:ベンサムの量的功利主義とミルの質的功利主義の違いとは?①快楽の質的な差異と精神的快楽の重視
前回記事:功利主義における個人主義と社会全体の幸福の最大化のジレンマ①、二つの原理の衝突とその解決策
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