ソクラテスのダイモーンとは何か?①神と人間の間に位置する存在としての神霊と幻聴としての神の声
ソクラテスは、デルポイのアポロン神殿の神託を受けたことをきっかけとして、賢者とされる人々を論駁してまわるという自らの哲学活動を始めたとも言われているように、
彼は、単なる哲学者であるだけではなく、神を信じ、その使命に自ら応えようとする信仰の厚い宗教的指導者にも近い人格を持った人物でもあったと考えられます。
そして、
ソクラテスには、その生涯において常に、彼がダイモーンのセーメイオンと呼ぶ神霊からの徴、神の声のようなものが聞こえていたとされているのですが、
ソクラテスに聞こえていたダイモーンの声とは、具体的にはどのようなものであったと考えられることになるのでしょうか?
古代ギリシア語のダイモーンの意味と英語のデーモンとの関係
古代ギリシア語のダイモーン(daimon)という言葉は、のちに、ラテン語のダエモン(daemon)や英語のデーモン(demon)の語源ともなった言葉であり、
それは、もともとは、目に見えないもの、神的なもの、神そのもののことを指す言葉であったと考えられることになります。
しかし、
ギリシア神話における神のことを示す言葉がテオス(theos)という表現に定着していく中で、ダイモーン(daimon)の方は、神と人間の中間に位置する二次的な神、すなわち、神霊や精霊のような存在として捉えられるようになっていきます。
そして、
こうしたギリシア語におけるダイモーンという概念の変化を受けて、
ラテン語におけるダエモン(daemon)という言葉も、神自体の事ではなく、霊や守護神のことを表す言葉として用いられることになっていきます。
そして、その後、
キリスト教のカトリック信仰がヨーロッパ社会全体へと浸透していく中で、そうした古代ギリシアの神々や神霊のことを表すダイモーンという言葉自体が異教における下級の神々のことを意味する言葉として捉えられるようになっていき、
キリスト教の神に逆らい下界へと追放された堕天使、あるいは、より直接的に、悪魔や悪霊のことを表す英語におけるデーモン(demon)のような存在へと貶められていくようになっていったと考えられるのです。
したがって、
こうしたギリシア語におけるダイモーンから英語におけるデーモンまでの言葉の意味の変遷の歴史を踏まえると、
ソクラテスがダイモーンという言葉を使う時には、それを、神、または、神と人間の意志の伝達を担う神霊や天使のような存在として捉えていたと考えられることになるのです。
『ソクラテスの弁明』におけるダイモーンに関する記述と頭の中に聞こえる幻聴としての神の声
それでは、
ソクラテスは具体的にどのような形でダイモーンの存在について言及しているのか?ということですが、
例えば、
プラトン著『ソクラテスの弁明』の中で、ソクラテスは以下のように語っています。
私の身の上に、実に不思議なことが起こったのである。
すなわち、私の聴き慣れたダイモーンの声の予言的警告は、私の生涯を通じて今に至るまで、常に幾度も幾度も聞こえてきて、特に私が何か曲がったことをしようとする時には、それが極めて些細な事柄であっても、いつも私を制止するのだった。
しかるに今度は、…私はそうした神からの警告のセーメイオン(徴(しるし))に接することがなかったのである。
(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫『ソクラテスの弁明』、56頁)
つまり、
この『ソクラテスの弁明』における記述によると、
ソクラテスは、生まれてからずっとということではないにせよ、おそらくは物事の分別がつき、自分で人生について深く考えるようになった青年時代の頃から時折、自分の頭の中だけで聞こえる不思議な声の存在に悩まされ続けていて、
彼自身は、そうした頭の中に聞こえる謎の声をダイモーン(daimon、神霊)のセーメイオン(semeion、徴(しるし))すなわち、神の声のような神秘的なものとして捉えるようになっていったと考えられるということです。
そして、
このように、自分の頭の中で声が聞こえるなどと言ってしまうと、現代社会においては、統合失調症などで現れる幻聴などの精神疾患の症状を疑われてしまうことになってしまいそうでもありますが、
詳しくは次回書くように、
それは、むしろ、カントの倫理学における根本的な原理である定言命法や、フロイトやユングの心理学における超自我や集合的無意識の概念に通じる存在として解釈することができると考えられることになります。
・・・
次回記事:ソクラテスのダイモーンとは何か?②キリスト教の十戒とカントの定言命法へ通じる自律的で普遍的な道徳法則
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