ソクラテスの妻クサンティッペは本当に悪妻なのか?②一家の極貧生活と夫の仕事内容への不満

前回書いたように、ソクラテスクサンティッペの夫婦は、当時の古代ギリシア社会においても比較的珍しい40歳程度の年の差婚のカップルだったと考えられるのですが、

それでは、彼らの具体的な結婚生活の内容はどのようなものであったと推測されることになるのでしょうか?

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ソクラテスの「仕事」と一家の極貧生活に対する妻クサンティッペの不満

例えば、

プラトン著の『ソクラテスの弁明』において、ソクラテスは、自らの普段の生活と仕事の内容について以下のように語っています。

私は今もなお神意のままに歩き回って、アテナイ市民であれ、またよそ者であれ、いやしくも賢者と思われる者を見つければ捕まえて、このこと(彼らが実際に賢者であることの吟味と論駁)について探究し、真実を明らかにしているのである。

そして事実これに反することが分かれば、私は神の助力者となって、彼が賢者ではないことを指摘する

またこの仕事があるがゆえに、私は公事においても私事においても、言うに足るほどの成果を挙げる暇もなく、神への奉仕の事業のために極貧の内に生活しているのである。

(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫『ソクラテスの弁明』、24頁)

つまり、

ソクラテスは、アテナイの町に暮らす人々と議論を交わすことによって、彼らの無知を暴き、相手と自分の知を吟味し続けることを神によって課せられた自らの使命と考え、

日常生活におけるほとんどすべての時間をその使命を実行し続けることにあてていたと考えられるということです。

そして、

そうした町中を歩き回ってはそこで出会う人々と議論を交わし、彼らを論駁してまわることをソクラテス自身は仕事と称しているわけですが、

例えば、

国民から選ばれた公人である議員などが議会などの場で議論や論駁を行う場合は、それは政治家としてのれっきとした仕事ということになるのですが、

そうした公人としての立場にない一般の人が街角で喧喧囂囂けんけんごうごうの議論を繰り広げるのは、みんなで井戸端会議をしたり、居酒屋でくだをまいたりしているのと社会的にはほとんど変わりがない行動ということになってしまうので、

ソクラテスの言う「仕事」は、当時のギリシア社会だけでなく、現代の社会においてすら、仕事というよりは、どちらかという趣味に近い一種の私的な活動に過ぎないと考えられることになります。

したがって、

こうしたソクラテスの仕事」は、当然、アテナイの社会からは一般的な職務や労働としては認められない仕事ということになるので、その対価としての給与や報酬などが支払われるはずもなく、

結果として、彼は、妻クサンティッペを含む自らの家族と共に非常に貧しい生活を送ることを強いられることになってしまっていたと考えられるのです。

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若き日のソクラテスは、ペロポネソス戦争において重装歩兵として従軍して名を上げた歴戦の勇士でもあったのですが、

クサンティッペと結婚した後の老年にさしかかかる頃のソクラテスには、そうした面影もあまりなく、

彼は、アテナイにおける社会的な立場としては、ほとんど完全な無職のプータロー(定職をもたずにぶらぶらしている人)状態にあったと考えられることになるのですが、

それでは、

そのような状態にあったソクラテスとその一家は、その日の暮らしにも困り、物乞いをしなければ生きていけないほどの生活を送っていたのかというと、必ずしもそうではないと考えられることになります。

確かに、ソクラテス自身は一切の職につかず、自分ではほとんどお金も稼いで来なかったと考えられるのですが、

同時に、彼には、彼のことを敬愛する裕福な友人たちも何人かいたと考えられているので、

本当に困窮しそうになった時は、おそらく、彼らからの援助などもあって、ソクラテス一家の最低限の暮らしは維持されていたとは考えられることになるのです。

しかし、いずれにせよ、

妻であるクサンティッペが三人の子供を抱えて家事に子育てにと奔走するなかで、亭主であるソクラテスの方は、働きに出るそぶりもなければ、家族を養えるだけのお金を稼ごうとする意志すら全くなく、

年がら年中、道端をほっつけ歩いては、名のある人物や、ただの通りがかりの青年などをつかまえて、徳とは何か?正義とは何か?勇気とは何か?といった問答をふっかけて回っているわけですから、

そうしたことへの不満ストレスにたまりかねて、夫であるソクラテスに悪態をついて怒鳴ったりヒステリーを起こしたりするクサンティッペのことを指して悪妻と罵るのは、少しかわいそうな気もしてくるように思います。

・・・

ソクラテスがその人生をかけて紡ぎ出した彼の哲学は、当時、彼と議論を交わすことができたアテナイの人々やその社会全体だけではなく、人類の思考のあり方の発展自体に大きく貢献した世界全体人類の歴史にとっての大いなる遺産であり、大いなる善あったと考えられることになるのですが、

ソクラテスが人間の魂と善なる生き方についての普遍的な真理の探究のみに従事し、そのために、自らは特定の職業につかずに私人としての立場を貫き通して、万人と分け隔てなく対話と論駁を交わすことに努めていたということは、

逆に言うと、

ソクラテスは、彼自身の家庭や妻のことを他の人々と比べて少しも多く顧みることがなく自らの家庭を持ちながら、きちんとした職業について、彼らを安定した収入によって養うことを心掛けもしなかったということを意味することにもなるので、

そうした彼の生活と生き方は、むしろ、彼自身の個人的な家庭生活にとっては悪影響の方が大きかったとも考えられることになります。

もちろん、哲人としてのソクラテスの偉大さは、そうした一般的な社会参加としての職業労働を超えたところにあったとも考えられるのですが、

人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉が真実であるとしても、そうはいっても、パンがなければ死んでしまうのも事実ではあるので、

家庭を守る妻クサンティッペの立場としては、やはり、夫が社会で認められている一定の職につくのでもなければ、家族の生活を支えるだけの安定した収入をもたらしてくれるのでもない以上、世間体としても実生活を送る上でも非常に困った状態に置かれていたと考えられるということです。

以上のように、

ソクラテスが人生について深く考え、人々の心をつかむ卓越した弁論を行うことができる傑出した人物であり、

そうすることが自らの死へと直結することが分かっていながら、自分の考え方を曲げずに、自らの生き方を貫き通した正義と真実の人であったことは紛れもない事実なのですが、

そうしたことと、実際の日々の生活がきちんと成り立っているか、というのはまったく別次元の問題ということになります。

そして、こうしたことを踏まえると、

妻であるクサンティッペ悪妻であったのかどうかはともかくとして、

彼女の夫であるソクラテスが、いかに哲学者や弁論家としては優れた人物であったとしても、彼が、古今東西を通じたほとんどすべての女性にとって、結婚しない方がいい結婚してしまうと確実に苦労するタイプの歴史上稀に見る悪夫であったことは、疑いようがない事実であると考えられることになるのです。

・・・

前回記事:ソクラテスの妻クサンティッペは本当に悪妻なのか?①40歳の年の差婚と二人の間の三人の子供たち

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