ソクラテスの妻クサンティッペは本当に悪妻なのか?①40歳の年の差婚と二人の間の三人の子供たち
ソクラテスの妻であるクサンティッペ(Xanthippe)は、歴史上の逸話の中では、かなりの悪妻として描かれていて、
英語では、Xanthippeという単語※は、口やかましい女性、口の悪いがみがみ女のことを表す普通名詞としても使われています。
※なお、英語ではXanthippeはザンティピーと発音します。
このように、
彼女は、歴史上の長きにわたって、悪妻・悪女の代名詞のような評価を受けてきた女性でもあるのですが、
ソクラテスという偉大な哲人ではあるが、特異な生涯を送ることとなった人物の妻として生きた彼女の立場に立って考えるとき、クサンティッペは本当に悪妻だったと言えるのでしょうか?
そして、
ソクラテスとクサンティッペの結婚生活は、実際にはどのようなものであったと推測されることになるのでしょうか?
ソクラテスとクサンティッペの三人の子供と37歳の年の差婚
ソクラテス(紀元前469年~399年)がアテナイの民衆裁判によって死刑判決を受け、毒人参の汁を飲んで刑死した時、
彼には、すでに成人した一人の長子の他に、まだ幼児だった二人の子供がいたとされていて、この三人の子供たちは、全員がソクラテスとクサンティッペの間に生まれた子供であると考えられています。
そして、
古代ギリシアの都市国家アテナイにおいて男性の成人年齢は18歳であり、その一方で、プラトンの記述によると、ソクラテスの死に際して、少なくとも一人の息子は、母親であるクサンティッペの胸に抱かれていたとされているので、
ソクラテスが70歳で刑死した時、彼とクサンティッペの間には、だいたい3歳くらいから18歳くらいまでの幅広い年齢にわたる三人の子供たちがいたと考えられることになります。
三人の子供の年齢層の幅が最低でも15歳以上というのは、かなり広めの年齢幅ということになりますが、
当時の古代ギリシア社会では、女性は15歳前後で30代くらいの年長の男性と結婚することが通例となっていたので、
例えば、
ソクラテスが52歳の時に、当時のギリシア社会の慣習と照らし合わせてもかなり年の離れた妻となる15歳のクサンティッペを嫁にもらい、
結婚後、比較的すぐに妊娠した彼女が16歳の時に長子をもうけ、さらにその後もう一人の子供を産んだのち、最後に彼女が31歳の時に末子をもうけたと考えれば、ある程度つじつまが合うと考えられることになります。
そして、こうした想定に立つと、
ソクラテスとクサンティッペは、彼が52歳、彼女が15歳の時に結婚し、その後、二人で18年間連れ添ったのち、ソクラテスの刑死に際して、彼が70歳、彼女が33歳の時に夫に先立たれることによってその結婚生活を終えたということになるので、
この場合は、ソクラテスとクサンティッペは37歳の年の差婚だったと考えられることになります。
もっとも、これは一つの想定に過ぎないので、実際に、二人の年の差がピッタリ37歳であったとは限らないわけですが、
ソクラテスが70歳で刑死し、その時に、彼とクサンティッペの間に乳飲み子に近い状態の幼子がいたことを考え合わせると、二人の結婚は、少なくとも30~40歳くらいのかなり年の離れた年の差婚ではあったことは確かだと考えられることになるのです。
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ちなみに、
ソクラテスの容貌は、背は低く、小太りで、普通より眼球が前に突出した出目で、平たく小鼻の膨らんだ大きな獅子鼻だったとと伝わっているので、
彼は、お世辞にも美男子とは言えない人物であったと思われるれるのですが、
以上のような状況において、
おそらくは親の言いつけに従って、あまり容姿のかんばしくない、かなり年配の男であるソクラテスと結婚することとなった若い女性であるクサンティッペにとって、
二人の間ではじまった結婚生活はあまりロマンチックなものではなかったと考えられることになります。
それでも、
もし、ソクラテスが、常に妻であるクサンティッペのことを気にかけ、彼女のために汗水を流して家族を養い、しっかりと夫としての務めを果たすような人物であれば、
クサンティッペも自分の夫であるソクラテスを尊敬し、彼のために尽くすかいがいしい妻になる気にもなったのかもしれないのですが、
例えば、
詳しくは次回に書く『ソクラテスの弁明』におけるソクラテスの姿を見ても、
どうも彼は、家族思いで夫の務めをきちんと果たすような、妻であるクサンティッペにとっての頼もしい人物ではなかったと考えられることになるのです。
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次回記事:ソクラテスの妻クサンティッペは本当に悪妻なのか?②一家の極貧生活と夫の仕事内容への不満
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