ソクラテスのダイモーンとは何か?②キリスト教の十戒とカントの定言命法へ通じる自律的で普遍的な道徳法則
前回書いたように、ソクラテスには、その生涯において常に、ダイモーンのセーメイオンと呼ばれる一種の神の声のようなものが聞こえていたとされています。
そして、
こうしたソクラテスのダイモーンの概念について、より哲学的な論理的解釈を試みるとするならば、
それは、キリスト教の十戒や、カントの倫理学における定言命法の道徳法則にも通じる概念として捉えることができると考えられます。
ソクラテスのダイモーンと肯定形と否定形の二つのタイプの道徳法則
前回取り上げた『ソクラテスの弁明』における記述によると、
ソクラテスの言うダイモーンの声とは、
「私が何か曲がったことをしようとする時には、それが極めて些細な事柄であってもいつも私を制止する」ものであるとされています。
つまり、
ソクラテスの頭の中で聞こえるダイモーンの声は、彼が何か善からぬことを行おうとしたり、誤って善なる生き方に反する行動をしてしまいそうになる時に、
それを制止し、思いとどまらせるという否定の形で働くある種の善意志や道徳的な力として彼に働きかけてくるものであったと考えられるということです。
例えば、
キリスト教の十戒においても、
「汝の父母を敬え」というように、
肯定形で語られているタイプの道徳法則と、
「汝、殺すなかれ」というように、
否定形で語られているタイプの道徳法則が混在する形で示されていますが、
このように、
一般的な道徳法則には、その形式において、
何らしかの善行を施すように勧める肯定の形で語られているタイプの道徳法則と、
悪行をなすことをとどめようとする否定の形で語られているタイプの道徳法則の二種類のタイプがあると考えられることになります。
そして、
ソクラテスの言うダイモーンの声は、まさに、この両者の内の否定の形に属するタイプの道徳的な意志であると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
ソクラテスのダイモーンは、否定の形式において語られているある種の道徳法則のようなものが神の声として具現化したものとして捉えられることになるのです。
カントの倫理学における定言命法と否定形としての道徳法則
そして、
こうした否定形の道徳法則を基本原理とする倫理学の体系の代表例としては、
カントの倫理学における定言命法の道徳法則が挙げられることになります。
定言命法(kategorischer Imperativ、カテゴリッシャー・インペラティフ)とは、
ドイツ語で「無条件の、断固とした」という意味を表す”kategorisch“(カテゴリッシュ)と「命令法、規則」を意味する”Imperativ“が合わさってできた概念であり、
理性自身の内に自律的に見いだすことができ、すべての倫理的判断の根本的基準となるどんな場合でも無条件に適用できる道徳法則のこと示す概念ということになります。
そして、
こうした定言命法にあたる道徳法則について、カント自身がほとんど唯一の具体例として挙げているものが「嘘をついてはならない」という道徳規則ということになるのですが、
この規則が「~してはならない」という否定形によって記述されていることからいっても明らかなように、この道徳規則は、悪行をなすことをとどめようとする形で語られている否定の形式に属するタイプの道徳法則であるということがわかります。
このように、
カントの倫理学における定言命法の道徳法則についても、それは、一義的には「~してはならない」という否定形の道徳法則を基本原理とする倫理体系であると考えられることになるのです。
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以上のように、
ソクラテスの言うダイモーンの声は、その哲学的解釈においては、
キリスト教の十戒における「汝、殺すなかれ」という戒律や、カントの倫理学における「嘘をついてはならない」という定言命法の道徳法則にも通じる否定の形式のタイプに属する理性の内に自律的に見いだされる普遍的な道徳法則が神や神霊の声として具現化したものとして捉えられることになります。
そして、
それはさらに、フロイトやユングといった現代の心理学思想における人間の無意識の探求へも通じる概念でもあると考えられることになるのです。
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次回記事:ソクラテスのダイモーンとは何か?③フロイトの超自我とユングの集合的無意識へと通じる哲学的直観
前回記事:ソクラテスのダイモーンとは何か?①神と人間の間に位置する存在としての神霊と幻聴としての神の声