「弱論を強弁する」常識を覆す言論の力とプロタゴラスの相対主義
「プロタゴラスの思想の概要」で書いたように、
「弱論を強弁する」という標語に代表される
プロタゴラスの弁論術のあり方は、
「人間は万物の尺度である」であるという
人間中心主義、価値観や事実についての相対主義の思想と
深い関わりのある論法であると考えられるのですが、
今回は、
そうした「弱論を強弁する」という弁論のあり方が具体的にどのようなものなのか?ということについて考えていきたいと思います。
常識を覆す言論の力
「弱論を強弁する」とは、すなわち、
弱い議論を強い弁論の力によって擁護するということを意味しますが、
より具体的には、
弱い議論とは、通常では常識に反すると考えられ、
相手にされないような根拠が弱い主張のことを
強い弁論とは、言葉と論理の力を駆使することによって、
自らの主張をより説得力のある議論へと組み上げていくことを指すと考えられることになります。
つまり、
「弱論を強弁する」プロタゴラスの弁論術のあり方とは、
そのままでは切り捨てられてしまうような根拠の弱い主張を説得力のある強い議論へと組み替えていく、ある種のディベート術のような弁論の技術のことを示していると考えられるということです。
そして、
プロタゴラスが言うように、通常は弱論と考えられる立場を優れた弁論の技術と言論の力によって強弁することが可能であるとするならば、
そうした弱論を強弁することを通じて、場合によっては、
常識においては正論とされている立場を論破し、これを覆してしまうことも可能になると考えられることになるのです。
弱論を強弁する具体例としての少子化問題と温暖化問題
例えば、
少子化問題や温暖化問題などの議論を例に挙げて、
弱論を強弁し、常識を覆すことを試みるとすると、
それは以下のような議論になります。
少子化問題における常識とは、
少子化は社会にとって大きなマイナスであり、出生率が高くなっていくことが望ましいといった主張であると考えられますが、
少子化が改善され出生率が高くなるということは、必然的に、地球上における人間の数がもっと増えていくという人口増加を招くことになります。
そして、
人口増加は、資源の急速な枯渇や地球全体の生態系のバランスの破壊をもたらし、
さらには、残された資源を奪い合って国家間の戦争や人間同士の争いが増えていくことになるとも考えられるので、
そういう意味では、人口増加は地球全体にとっては害悪であり、
そうした人口増加を招く源となる出生率の上昇も必然的に地球全体にとってはマイナスと考えられることになります。
そして、
一つの社会におけるマイナスと地球全体におけるマイナスとでは、地球全体におけるマイナスの方が問題大きく、優先されるべきなので、社会における一時的なマイナス面を考慮しても、地球全体に対する永続的なマイナス効果を避けるために、むしろ少子化を許容する方が望ましく、その方が地球全体の生態系の保持と世界平和にもつながるというように、
少子化するのは良いことであるという弱論が強弁され、
少子化は悪いことであるという常識を覆す結論が帰結することになります。
また、
地球温暖化についても同様に弱論を強弁する議論を組み立ててみるとすると
それは例えば以下のような議論になります。
温暖化問題における常識とは、
地球温暖化が進むと海面上昇や北極の氷の減少が起こることになり、人類が生活できる陸地面積が減少してしまううえ、気候変動による生態系の破壊によって生物が絶滅し、生物の多様性が失われてしまうことになるので、温暖化は地球全体における危機であり、害悪であるといった主張であると考えられます。
しかし、
地球温暖化によって海面上昇や北極の氷の減少などが生じ、
陸地面積が減ることは事実だとしても、
世界中が暖かくなるということは、その分、シベリアの永久凍土や、北極と異なり氷の下に土の大地を持つ南極大陸が氷に閉ざされた世界から解放され、緑の大地に変わることにもなるので、
そうしたことも含めた差し引きで考えると、トータルでは、温暖化によって通常の陸生生物が生息できる環境をもった地域はむしろ増加する可能性もあると考えられることになります。
また、
気候変動によって北極グマなどの寒冷地に適応した生物が絶滅の危機に瀕するとしても、温暖な地域に生息する生物の方が圧倒的に多くの種族数と豊かな生態系を持っているので、温暖な地域が地球上にもっと広がれば、新たな生物種の分化が促されるとも考えられることになります。
そうすると、
現代よりも温暖な気候であり、南極大陸にあたる地域も緑に覆われていたかつての恐竜時代の生態系のように、将来的には、むしろ現在よりも生物種も多く、多様性も大きい生態系が形成されていくことになると考えられるというように、
温暖化するのは良いことであるという弱論が強弁され、
地球温暖化は悪いことであるという常識を覆す結論が帰結することになるのです。
・・・
以上のように、
「弱論を強弁する」という言葉に代表されるような
プロタゴラスの弁論術のあり方に従うと、
どんなに常識に反する根拠が弱いように見える主張についても、それを説得力のある強い議論へと組み替え、常識を覆す議論を組み立てていくことが可能となり、
こうした議論によって相手を説得できるかどうかは、ひとえに、
論者が用いる弁論の技術と言論の力にかかると考えられることになります。
そして、こうした考え方は、
社会における価値観についても、世界における事実についても、
ことの真偽はすべて人間が用いる言論の力によって司られていて、
そうした弁論のやり取りの中で揺れ動く真偽のあり方を離れて独立して存在する絶対的真理や普遍的真理といったものは存在しないとする
プロタゴラスの相対主義の思想へとつながっていくことになるのです。
こうした弁論の技術は、その用い方を誤ると、正論や常識をねじ曲げて人々を惑わすだけの詭弁や言葉遊びに終始してしまう危険性もはらむことになるのですが、
その一方で、それは、
それは、通常とは異なる視点から物事を捉え直すことによって、
皆が当たり前に思っている常識を鵜呑みにしているだけでは見過ごされてしまうような隠れた問題点をあぶり出していくことにもつながるので、
多様な価値観や主張を受け入れ、柔軟性のある思考を導くための
社会にとっても人間精神にとっても有益な道具として用いることも可能と考えられることになるのです。
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