ペロポネソス同盟の起源とスパルタを盟主とする軍事同盟のペロポネソス半島全域への拡大
前回までに書いてきたように、ペルシア戦争におけるアケメネス朝ペルシアによるギリシア遠征を退けた後の古代ギリシア世界においては、
サラミスの海戦においてギリシア艦隊を勝利へと導くことによって海軍国家として隆盛を極めていくことになったアテナイを盟主とするデロス同盟が覇権を握っていくことになるのですが、
その一方で、こうしたアテナイを中心とするデロス同盟と並んで、古代ギリシア世界において台頭していくことになった都市国家間の軍事同盟としては、スパルタを中心とするペロポネソス同盟の名が挙げられることになります。
ペロポネソス同盟の起源とスパルタとテゲアの戦い
そうすると、まず、
こうしたスパルタを中心とする古代ギリシアにおける軍事同盟は、アテナイを中心とする軍事同盟よりも古くから存在していたと考えられ、
アテナイを盟主とするエーゲ海周辺のギリシア諸都市によってデロス同盟が結成されることになる紀元前477年もさらに70年ほど前に遡る紀元前550年頃の時代に、
スパルタとテゲアとの間に結ばれることになった同盟関係がこうしたペロポネソス同盟と呼ばれるスパルタを中心とする軍事同盟の起源であったと考えられることになります。
ペロポネソス半島の南部に位置するギリシア世界最強の陸軍国家であったスパルタは、
紀元前8世紀ごろから二度にわたるメッセニア戦争などを通じて、西方への領土拡大を図っていくことになるのですが、
その後、ペロポネソス半島全域へと勢力圏を拡大していくことになったスパルタは、ペロポネソス半島の中央部に位置する都市国家であったテゲアへも侵攻していくことになります。
しかし、
ペロポネソス半島の中央部にあたるアルカディア地方における最も古く強大な都市国家の一つであったテゲアは、スパルタとの抗争においても長い間抵抗を続けていくことになります。
そして、200年間におよぶ長い戦いの末に、
スパルタは都市を完全制圧にまでは至らなかったもののテゲアの軍勢を破ることによってアルカディアにおける覇権を確立することに成功することになり、
互いの力を認め合うことになったスパルタとテゲアの両者は互いに盟約を結ぶことに同意することになります。
そして、両者の間には、
テゲアがこれからも引き続き都市国家としての独立を維持していくことを認める代わりに、対外戦争の際にはスパルタの指揮のもとで同じ敵と戦うという軍事的な同盟関係が結ばれることになったと考えられることになるのです。
ペロポネソス半島全域への軍事同盟の拡大と同盟の名前の由来
そして、その後、
こうしたスパルタを盟主とする軍事的な同盟関係は、ペロポネソス半島全域へと拡大していくことになり、
コリント、エリス、マンティネイア、ピュロス、エピダウロス、さらには、ペロポネソス半島の南に隣接する島にあたるキティラといったペロポネソス半島とその周辺部に位置する大部分の都市国家がこうしたスパルタを盟主とする軍事同盟のうちへと組み込まれていくことになります。
ちなみに、
こうしたスパルタを盟主とする軍事同盟の呼び名には、古代においては、スパルタ人が自らのことを指して用いていた名称であるラケダイモンという言葉を用いて、
古代ギリシア語において「ラケダイモン人と彼らの同盟国」といった意味を表す呼び名が用いられていたと考えられているのですが、
その後、
現代まで至る歴史学の分野においては、こうした古代ギリシアにおけるスパルタを盟主とする軍事同盟がペロポネソス半島における都市国家を中心として広がっていったことから、
こうした「ペロポネソス同盟」という呼び名が広く用いられるようになっていったと考えられることになるのです。
スパルタを盟主とする緩やかな軍事同盟としてのペロポネソス同盟
そして、
こうしたペロポネソス同盟と呼ばれるスパルタを盟主とする軍事同盟においては、
ペルシア戦争やペロポネソス戦争などのように、
同盟全体での軍事行動が行われている期間には、スパルタが全軍の指揮権を担うことになっていて、同盟に加盟する諸都市はスパルタの軍事指揮権のもとで共同で軍事作戦を遂行していくことになっていたのですが、
その一方で、そうした軍事行動の決定そのものについてはスパルタの独断ではなく、同盟諸都市の同意と多数決によって決められることになっていました。
また、平時においては、
同盟に加盟する諸都市は税や分担金が徴収されることもなければ、内政に干渉されることもない完全な独立を維持することになっていて、
同盟全体での軍事行動が行われていない期間には、ペロポネソス同盟の加盟都市同士で戦争を行う自由も認められているというように、
こうしたペロポネソス同盟と呼ばれるスパルタを盟主とする軍事同盟においては、もともとは、かなり緩やかな同盟関係においてペロポネソスを中心とする都市国家同士の連携が図られていたと考えられることになるのです。
ペロポネソス戦争の基盤となる古代ギリシアにおける二つの勢力圏の成立
そして、その後、
ペルシア戦争の勝利後に、古代ギリシア世界において、アテナイを盟主とするデロス同盟の勢力が強まっていくことになると、
そうしたエーゲ海の周辺に位置する都市国家を中心とするデロス同盟に加わることがなかった都市国家たちは、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟を中心に結束を強めていくことになります。
そして、その際、
アテナイと敵対関係にあったペロポネソス半島の北方に位置するテーバイを中心とするギリシア中部に位置するボイオティア地方の都市国家もその多くがデロス同盟ではなくペロポネソス同盟の側についていくことになり、
こうして、
アテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟が衝突することになるギリシア世界を二分する大きな戦いである
ペロポネソス戦争がはじまる土台となる古代ギリシアにおける二つの勢力圏の構図が形づくられることになっていったと考えられることになるのです。