細胞説の発展による全体論的な医学理論の衰退と四体液理論の再解釈、四体液説と四元素③
古代から中世にかけてのヨーロッパ医学における
主流思想であった四体液説は、
近代における細胞説の発展のなかで
実用的な医学理論としては捨て去られていくことになるのですが、
その一方で、
四体液説から現代医学へと移り変わっていく医学理論の過渡期においては、
新たに生まれた近代科学の視点から、
四体液説における四つの体液とは
具体的にどのような種類の体液であったのか?
ということについての考察もなされていくことになります。
近代における細胞説の発展と四体液説などの全体論的な医学理論の衰退
細胞説(cell theory)とは、生物を構成している基本単位は細胞であって、
あらゆる生命体は個々の細胞の集合体として成り立っているとする学説であり、
1838年にドイツ人の植物学者シュライデンが植物について、
1839年にフランス生まれのドイツ人動物学者シュワンが動物についての細胞説を
提唱することによって
現代生物学へとつながる基本理論としての細胞説の土台が
築かれていくことになります。
そして、
こうした生物学における細胞説の発展に基づいて
1858年にフィルヒョウ(Virchow、ウィルヒョーとも表記される)が
細胞説を病理学の方面へも適用させた細胞病理学を提唱することになります。
細胞病理学においては、
病気の治療においても、個々の細胞の病変に注目するようになり、
人体をそうした個々の細胞や、その集合体である個々の組織や器官といった
各部分ごとに分けて捉えることによって、
細胞レベルでの病変の原理の解明と、それに基づく
各臓器や器官、細胞組織といった人体の各部位ごとにおける治療法の研究が
進んでいくことになります。
そして、
こうした細胞説とそれに基づく細胞病理学を基盤とする
現代医学の発展の中で、
それまでの四元素説におけるような人体における体液などの
全体的なバランスを重視した治療法の探求ではなく、
個々の細胞やその集合体である個々の組織や器官を治療の対象とする方向へと
医学研究の焦点が向け変えられていくことになります。
こうした細胞説に基づく現代医学の発展の中で、
四体液説における観念的とも言える曖昧な体液理論に基づく
感染症に対する瀉血療法などの迷信的な治療法が打破されていく一方、
人間の身体を一つのミクロコスモス(Mikrokosmos、小宇宙)と捉え、
個々人の体質や食事や睡眠、運動などの全体的なバランスを整えることで
その全体的な秩序としての健康を維持しようとする医学における
全体論(holism、ホーリズム)的な視点自体も軽視されていくことになるのです。
科学的な知見からの四体液の血中成分への対応づけ
しかし、その一方で、
四体液説から現代医学への過渡期においては、
四体液のそれぞれは、科学的にはどのような人体の体液成分に該当しているのか?
といった四体液説における四体液と現代医学における具体的な体液成分の関係も
実験科学的な視点から捉え直されていくことになります。
例えば、
フィルヒョウによって細胞病理学に基づく医学理論が提唱されてから50年ほど経った
20世紀初頭のスウェーデン人の病理学者ロビン・フォーレウスによると、
四体液説とは、結局、
現代では血液として一まとまりに捉えられている体液の概念が
血中の個々の成分の多寡に応じて四つの種類に分けて捉えられたものであり、
四体液説における血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液の四体液のそれぞれは、
現代医学において明らかにされた血中の成分である
赤血球、血餅(凝固した血液)、血清、白血球のそれぞれに由来すると解釈するのが
最も合理的だと主張しました。
試験管に入れた血液を静かにそのまま放置しておくと、
血液中の個々の成分の重さの軽い順に上から上澄みと血球部分、凝固部分へと
徐々に分離してくことになるのですが、
つまり、
こうした血液の上澄みである血清部分と赤血球と白血球から成る血球部分、
そして、フィブリノーゲンと呼ばれる凝固因子に血小板や血球などが絡みついて固着した凝固部分のそれぞれが四体液説に四体液の具体的な体液成分の正体である
と考えたということです。
四体液理論の動脈血・静脈血・消化液・リンパ液への再解釈
こうした近代医学における実験科学的な視点に、さらに
四体液説における根本理念である全体論的な視点を加味する形で
四体液理論における四つの体液について再解釈するならば、
例えば、
血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液という四体液のそれぞれは、
動脈血、静脈血、消化液、リンパ液という体液のあり方として
捉えることも可能と考えられます。
前述したように、四体液説における四体液の概念を
血液という一つの体液における個々の成分に分割して捉えることが
可能であるならば、
同じ血液という一つの体液を、
動脈血と静脈血という二つの様態に分けて捉えることも
可能であると考えられます。
そうすると、
静脈血は動脈血に対して二酸化炭素などの老廃物を多く含んだ
黒ずんだ体液ということになるので、
血液の対極に位置する黒胆汁のイメージにも
ある程度当てはまるところがあると考えられることになります。
また、
黄胆汁は、四体液説の大本となる四元素説においては、
火の元素に属する体液ということになりますが、
体内おける消化作用とは
自然界おける炎の燃焼作用と類似するところもあるので
胆汁だけではなく、胃液や腸液、膵液などの
消化液系全般の体液に対応していると考えれば、
黄胆汁をある程度大きな勢力をもった体液の種類として
捉え直すことが可能と考えられます。
そして、最後に残された粘液については、
フォーレウスに倣ってそれを白血球や免疫系として捉えても良いのですが、
粘液という透明でぬめり気がある液体という性質をより重視するならば、
血管と同様に人体の全身に張り巡らされていているリンパ管を流れる体液であり、
白血球の一種であるリンパ球を多く含むリンパ液という概念で捉えた方が
より適切とも考えられます。
このように、
四体液説における四つの体液を、
動脈血、静脈血、消化液、リンパ液という体液のあり方として捉えると、
ある程度、それぞれの体液における量や機能の面での
互いの勢力のバランスが整った体液理論の体系になると
考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
四体液説における血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液という四つの体液の
現代医学における具体的な体液の種類との関係は、
そのまま字義通りに、四体液のそれぞれを
血液、生成直後の胆汁、老廃物としての胆汁、体表面への分泌液
として捉える解釈から、
血中の成分の分類として、
赤血球、血餅、血清、白血球という四つの成分として捉える解釈、
さらに、四体液の人体における勢力のバランスを考慮して
動脈血、静脈血、消化液、リンパ液として捉える解釈など
様々な対応づけが可能であると考えられるのですが、
いずれにせよ、
四体液説においては、医学における全体論的な視点に立った上で、
こうした四体液の相互の循環と調和によって
人体の健康が成り立っていると考えられることになるのです。
そして、
そうした四元素説と四体液説における
それぞれの要素のバランスと勢力の優劣関係からは、
人間の身体における健康や病気のあり方だけではなく、
心身全体を通じたバランスまでもが説明されていくことになり、
四体液理論に基づく人間の心身のあり方の説明は、
心の状態や性格傾向の分類にまで及んでいくことになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:血液と黄胆汁と黒胆汁と粘液の医学的観点からの説明、四体液説と四元素②
このシリーズの次回記事:四体液説に基づく四つの性質類型とクレッチマーの三つの気質類型、四体液説と四元素④
「生命論」のカテゴリーへ
「生物学」のカテゴリーへ
「医学」のカテゴリーへ