血液と黄胆汁と黒胆汁と粘液の医学的観点からの説明、四体液説と四元素②

前回考えたように、

四体液説における血液黄胆汁黒胆汁粘液という四つの体液のそれぞれは、
四元素説における空気四要素に対応していて、

こうした四つの体液の勢力が互いに拮抗し、
四体液の自律的なのバランスが維持されることによって
人体における健康が維持されると考えられることになるのですが、

こうした四体液説における四つの体液
現代医学において知られている具体的な体液の種類と結びつけようとすると
それは、どのような対応関係において捉えることができるのでしょうか?

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血液と三つの特殊な体液の概念

四元素説における四つの体液をそのまま文字通りに
現代医学における体液の概念に結びつけて解釈すると、

四元素説における血液の概念は、そのまま、人体の血管の内を流れる
赤血球白血球血小板そして血漿(血液から赤血球や白血球などの血球成分を除いた液体部分)から構成される現代医学における血液の概念に一致することになりますが、

残りの三つの体液は、人体における
かなり特殊な体液の種類について言及していることになります。

黄胆汁黒胆汁は、
肝臓から分泌される消化液である胆汁
二種類に分けて捉えられたあり方と解釈することができますが、

胆汁は、肝臓から分泌された当初は黄褐色の液体であるのに対して、
胆のう内で一時的に貯留されたのち、十二指腸内へと排出されると、
腸の内部で酸化して茶色へと変化していくことになるので、

黄胆汁黒胆汁はこうした生成直後の胆汁
消化液としての役目を終えた後の老廃物としての胆汁という
胆汁の使用前と使用後の姿が二つに分けて捉えられた概念として
解釈できることになります。

ちなみに、

十二指腸内に排出された胆汁は、
最後には、腸内の他の内容物と一緒になって排泄されることになりますが、
こうした排泄物における色も酸化した胆汁における茶色の色素
すなわち、黒胆汁の色に由来することになります。

そして、一方、

四体液説において粘液と呼ばれる概念からは、
ナメクジやカタツムリのような軟体動物の表面を覆っているような
よく分からないぬるぬるした液体が連想されることになりますが、

それは、動物の体表面から分泌されるぬめり気のある透明な液体
ということになるので、人間で言うと、
鼻水のような分泌液のイメージに該当することになると考えられます。

このように、

四体液説における血液黄胆汁黒胆汁粘液という四つの体液
そのまま現代医学における体液の概念に当てはめて説明すると、

血液はそのまま血液
黄胆汁は使用前の生成直後の胆汁
黒胆汁は使用後の老廃物としての胆汁
粘液は鼻水や汗などの主に体表面への分泌液

として捉えられることになるのです。

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観念的な体液としての四体液

しかし、以上のように、

四体液説における四体液の概念をそのまま文字通りに
現代医学の体液の概念と結びつけて解釈してしまうと、

体液の量としても、人体における機能の重要性の面においても

血液という一つの体液に対して
黄胆汁黒胆汁粘液という他の三つの体液が占める割合が
あまりに小さ過ぎるという問題が生じてしまうことになります。

人間が、カタツムリやナメクジのような
常にどこからか大量の粘液を分泌しているような生物でもない限り、

血液というおよそ4リットルにもおよぶ大量の体液に対して、
二種類の胆汁粘液という極めて少量の体液が同等の立場で対立するという
極めてバランスの悪い医学理論の体系ができ上ってしまうことになる
ということです。

このような個々の体液の概念における解釈上の問題が生じてしまう
一つの理由としては、

そもそも、

四体液説は、古代ギリシアにおける哲学思想であった四元素説
医学的に解釈し直される中で築き上げられた理論でもあるので、

その理論の中心にある四体液の概念
科学的に実証された具体的な概念というよりは、

人間の体内のバランスを司る存在として考え出された、いわば、
観念的な体液として想定された概念であることが挙げられます。

そうした観念的な概念としての四体液を、そのまま文字通りに
現代医学における科学的な体液の概念と結びつけてしまうと
その解釈には少し無理が生じてしまうことになると考えられるのです。

また、

四体液説においては、四体液間の勢力の均衡によって
人体における健康と病気の状態が説明されることになるので、

四体液の体内における通常のバランスは、そのにおいても機能においても
ある程度均衡のとれたものでなければならないと考えられるのですが、

こうした点から見ても、以上のような
血液に対して、二種類の胆汁のあり方と体表面への分泌液としての粘液
それぞれ同等の立場で対立するという解釈は、

四体液説における理論の本質にそぐわない解釈になってしまうと
考えられるのです。

・・・

それでは、どのような解釈が
より四体液説の理論の本質に即した四体液の解釈になるのか?
ということについては、

次回、近代医学における四体液概念の分析のあり方について考え、
より四体液の勢力の均衡が保たれた形での四体液概念の再解釈を試みていく中で、
詳しく考えてみたいと思います。

・・・

このシリーズの前回記事:四体液説における熱冷乾湿の対応関係とホメオスタシス、四体液説と四元素①

このシリーズの次回記事:細胞説の発展による全体論的な医学理論の衰退と四体液理論の再解釈、四体液説と四元素③

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