タレスとソクラテス、「汝自らを知れ」から無知の知へ

デルポイの神殿と3つの格言

デルポイは、

アテネから北西へ150km
パルナッソス山の麓にあったギリシア人都市国家で、

ギリシア世界のちょうど
中央部に位置していたことから、

古代ギリシアの人たちにとって、

世界のへそ世界の中心地

と考えられていたのですが、

そのデルポイの中心、
アポローン神殿において、

巫女たちによる、
謎めいた詩の形式で下される神託は、

デルポイの神託」として、

古代ギリシア人にとって、
特別な重みを持つものとして、重要視されてきました。

そして、

そのデルポイのアポローン神殿
入り口には、

過剰の中の無」(過ぎたるは猶及ばざるが如し)

誓約と破滅は紙一重」(守れない約束はするな)

汝自らを知れ」(自分自身を知ることは難しい)

という三つの格言が記された
碑文が掲げられていたと言われていますが、

この碑文は、

紀元前6世紀頃に、

ギリシア七賢人と呼ばれた、

当代の知恵者たちによって考え出され、
神殿に奉納された言葉であるとされています。

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ギリシア七賢人とミレトスのタレス

このギリシア七賢人というのが、
誰のことを指しているのか?

ということについては、

定説としては、
正確には、定まっていないのですが、

プラトンによると、次の7人の名が、
七賢人として挙げられています。

その7人とは、

ミレトスの哲学者タレス
アテナイの立法者ソロン(ソロンの改革により民主主義の基盤を築いたことで有名)
スパルタの民選長官キロン
プリエネの僭主ビアス
リンドスの僭主クレオブロス
ミュティレネの僭主ピッタコス
ケナイの農夫ミュソン

です。

しかし、特に、7人目に挙げられている
農夫ミュソンについては、すでに古代の時点から異論も多く、

プラトン以外の資料では、
コリントスの僭主ぺリアンドロスが挙げられていることが多く、

さらに、他の資料でも、

哲学者ピタゴラスや、アナクサゴラス、クレタの預言者エピメニデスや、
伝説的な詩人オルペウス、僭主ペイシストラトスなど様々な名前が
7人目の賢者として挙げられています。

しかし、

そのほとんどの資料において、

七賢人の筆頭といってもいい位置に
タレスの名が挙げられていることは事実なので、

ギリシア七賢人の中に、

哲学者である
ミレトスのタレスが含まれていたということは、
確かなようです。

そして、

同じく、プラトンの資料によると、

「過剰の中の無」 と、

汝自らを知れ

という、
少なくても、この二つの碑文については、

タレスを含むギリシア七賢人が、
デルポイのアポローン神殿に集まった時に考え出され、

神殿に奉納された言葉であるとされています。

デルポイの神託と無知の知

そして、

七賢人たちが、デルポイのアポローン神殿に
格言を記した碑文を奉納してから、

150年の月日が経ったとき、

哲学者ソクラテスの友人である、
カイレポンが、この神殿を訪れ、

デルポイの巫女たちから、

ソクラテスよりも知恵のある者はいない

という、神託を授けられ、
それをソクラテスのもとに持ち帰ります。

ソクラテスは、
真剣に哲学を探究していくなかで、

自分が、

善美なるものkalon kagathonカロン・カガトン

真なる知について、

その知をどんなに強く求めていても、

その神のような真なる知については、
いまだ少しも、到達していないことをよく自覚していたので、

真なる知を有していない自分が
最大の知者であるとは、

神のいかなる
謎かけなのだろうかと、

その疑問を解くために、
各地の知者と言われる人々を訪ねて回ることを決意します。

そして、

各地の知者たちと問答をかわし、
彼らの主張を吟味し、論駁していくなかで、

彼らが、自分の博識を誇り、
知恵があることを周りの人々に自慢していながら、

真なる知である善美なるものについては、
何も知っていないということを明らかにしていきます。

そして、

彼らは、自分が真なる知について、
すでに十分に知っているように振る舞いながら、
その実、何も知っていない、

のに対して、

自分は、いまだ真なる知に到達していないということを
深く自覚しているという点で、

確かに、
彼らよりは、自分の方が知恵があるらしい、
と結論付けることになります。

つまり、

ソクラテスの「無知の知」とは、

真なる知である善美なるものについて、

自分がそれを強く求めながらも、
その知にいまだ到達していないということを
自覚する知であり、

すなわち

真なる知である善美なるものについての
自らの無知自覚する知

ということになります。

そして、このことが、

デルポイの神殿に刻まれていた、

汝自らを知れ

という言葉についての、

ソクラテス流の解釈ということにもなると考えられるのです。

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タレスからソクラテスへ

以上のように考えると、

デルポイのアポローン神殿の入り口に掲げられた、

汝自らを知れ

という格言の中には、

タレスによる
最初の哲学の思考が刻み込まれていて、

その思考が、
150年の時を経て、

デルポイから南東へ
150kmの地にある、

アテナイのソクラテスへと流れ込み、

ソクラテス
無知の知」の思想、

そして、

ソクラテスから、
プラトンアリストテレスへと続く、

古代ギリシア最高の哲学として
結実した、

と考えることもできるように思います。

このように、

タレスからソクラテスへと至るまで、

知を愛し求め、
自らの思考を常に吟味し続ける

という哲学探究の姿勢は、
一貫して受け継がれていると考えられるのです。

・・・

タレスの哲学の概要

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