第二次神聖戦争におけるポーキス人によるデルポイのアポロン神殿の占領とアテナイとスパルタの代理戦争としての位置づけ
前々回書いたように、デルポイのアポロン神殿の聖域をデルポイに隣接する都市国家であったキラが制圧したことによってはじまった古代ギリシアにおける第一次神聖戦争では、
その後、シキュオンを盟主とするアポロン神殿を保護する隣保同盟の同盟軍の軍勢がキラの町を包囲したのち、水攻めとヘレボルスの毒を用いた計略を用いることによってキラの町が滅亡することにより終結を迎えることになります。
そしてその後、しばらくの間、デルポイの地には安寧が訪れることになるのですが、それから100年以上の時を経てギリシア全土を二分する大きな戦いであったペロポネソス戦争が起きることになると、
そうしたペロポネソス戦争の前後の時代に、再びデルポイの地を揺るがすアポロン神殿の聖域の支配をめぐる聖なる戦いが引き起こされることになるのです。
第二次神聖戦争とポーキス人によるデルポイのアポロン神殿の占領
第一次神聖戦争が終結してデルポイに隣接する古代都市であったキラが滅亡すると、それからしばらくして、デルポイが位置するギリシア中西部にあたるフォキスあるいは古代ギリシア語の発音ではポーキスと呼ばれる地方においては地域の統一へと向けた機運が高まっていくことによってポーキス人と呼ばれる人々の勢力が強まっていくことになります。
そしてその後、北西に隣接するドーリスなどの地域への勢力の拡大を図っていったポーキス人たちは、そうした勢力拡大の一環として、ポーキス地方に属しながら、アポロン神殿を司る神聖な都市であったことから独立状態を保っていたデルポイを併合することを狙ってデルフォイのアポロン神殿を占領してしまうことになります。
そして、こうしたポーキスの軍勢によるアポロン神殿の占領を神に対する冒瀆の罪としてデルフォイを守護する隣保同盟の軍勢がポーキス討伐へと乗り出したことによって、
紀元前595年にはじまった第一次神聖戦争から150年ほどの時を経た紀元前449年に第二次神聖戦争が勃発することになるのです。
故郷の地ドーリスの防衛をめぐるスパルタとポーキスの争い
紀元前449年にはじまった第二次神聖戦争においては、デルフォイのアポロン神殿の占領したポーキス人に対してスパルタを中心とする軍勢が討伐へと乗り出していくことになるのですが、
このようにスパルタが主導する形で第二次神聖戦争におけるポーキス討伐が行われることになった理由としては、その直前に行われていたポーキス人によるドーリス地方への侵攻が背景にあったと考えられることになります。
ドーリス地方はスパルタを建国したギリシア人の一派にあたるドーリア人あるいはドーリス人と呼ばれる人々の故郷の地であるとも考えられていたため、
スパルタの人々は聖なる都市であるデルポイの奪還と同時に、自らの故地であるドーリスの防衛も目的とすることによってこうした第二次神聖戦争におけるポーキス討伐へと乗り出していくことになったと考えられることになるのです。
アテナイとスパルタの代理戦争としての第二次神聖戦争
また、その一方で、こうした第二次神聖戦争が行われた当時のギリシアは、ギリシア全土を二分する大きな戦いであったペロポネソス戦争の前哨戦としても位置づけられる第一次ペロポネソス戦争のさなかにあり、
紀元前460年から紀元前445年までの15年間におよぶ第一次ペロポネソス戦争においては、その後のペロポネソス戦争と同様に、アテナイを中心とするデロス同盟の軍勢とスパルタを中心とするペロポネソス同盟の軍勢との間で激しい抗争が繰り広げられていくことになります。
そしてその後、こうした第一次ペロポネソスの一環として行われることになった古代ギリシアにおける第二次神聖戦争においては、
ポーキス討伐へと乗り出したスパルタによってデルポイが奪還されてポーキス人たちがこの地から放逐されることになると、スパルタ軍が撤収した後に、
今度は、スパルタに対立すると同時にポーキスと協力関係にあったアテナイの軍勢がデルポイを再占領することによって、デルポイの地は再びポーキスの領内へと組み込まれることになります。
そしてその後、しばらくの間、デルポイの地はポーキス人の占領下に置かれることになるのですが、第二次神聖戦争から30年ほどの時を経た紀元前421年にアテナイとスパルタとの間でペロポネソス戦争の休戦条約にあたるニキアスの和約が結ばれることになると、
こうしたニキアスの和約の締結の際に、デルポイの独立が認められることによって、デルポイは再びポーキスの支配から解放されることになります。
そして、そういった意味では、こうした第二次神聖戦争におけるポーキスによるデルポイの占領をめぐる一連の争いは、デルポイのアポロン神殿の聖域の支配をめぐる古代ギリシアにおける聖戦であると同時に、
アテナイとスパルタのギリシア世界の覇権をめぐる代理戦争としても位置づけられることになると考えられるのです。