スパルタにおける身分制度と王政と貴族政と民主政が一つに融合した複雑な政治体制
前回までに書いてきたように、古代ギリシアを代表する都市国家の一つであるスパルタは、古代ギリシアの暗黒時代にあたる紀元前10世紀ごろにギリシア人の一派であるドーリア人によって建国されることになり、
その後、紀元前7世紀ごろに伝説的な立法者とされるリュクルゴスによって大規模な改革が行われることによって、国家としての社会制度や政治体制が確立されていくことになったと考えられるのですが、
それでは、こうした古代ギリシアの都市国家スパルタにおける身分制度や社会構成さらには国家を統治する政治システムといったものはより具体的にはどのようなものであったと考えられることになるのでしょうか?
スパルタの身分制度における三つの身分階級の区別
そうすると、まず、
もともと紀元前12世紀ごろにペロポネソス半島へと侵入して、この地に栄えていたミケーネ文明を滅ぼすことによってこの地を支配していくことになった征服者にあたるドーリア人の末裔であったスパルタ人たちは、
この地にもともと住んでいた先住民にあたるアカイア人や、その後、隣国であったメッセニアとの戦争で捕虜にしたメッセニア人といった人々を奴隷として使役することによって国力を増大していくことになり、
こうして奴隷としてスパルタの支配のもとに服することになった人々は、古代ギリシア語で「捕らえられた人々」といった意味を表すヘイロタイまたはヘイロータイという呼び名で呼ばれていくことになります。
そして、それに対して、
戦争によって力ずくで支配されることを避け、古い盟約によって平和的にスパルタの支配下へと入った人々もいて、
そうした人々は古代ギリシア語で「周辺に住む人々」といった意味を表すペリオイコイという呼び名で呼ばれていくことになります。
そして、こうしたスパルタの身分制度においては、
市民の権利としての国政への参政権を持ち、国防と兵役に従事する支配階級にして完全なる自由民にあたるスパルタ市民、
市民の権利である参政権を持たない一方で、戦時には市民と同様に兵役の義務を負う代わりに平時には自治を認められて自作農や商工業などに従事していた劣格市民とも呼ばれる半自由民にあたるペリオイコイ、
代々土地に縛られてクレロスと呼ばれる私有農地を耕作して土地の所有者であるスパルタ人に対して収穫物の一部を貢納することを義務づけられていた国家共有の奴隷身分の農民にあたるヘイロタイ
という三つの身分階級によって社会全体が構成されていたと考えられることになるのです。
スパルタにおける王政と貴族政と民主政が融合した複雑な政治体制
そして、
こうした三つの身分階級のうちの最上位に属する支配階級にあたるスパルタ市民によって構成されることになるスパルタの政治体制においては、
アルカゲタイと呼ばれる2人の王と、エフォロイと呼ばれる5人の監督官、
そして、
ゲルシアと呼ばれる長老会と、アペラと呼ばれる民会という二つの統治機関から成るかなり複雑な統治体制がとられていたと考えられることになります。
具体的には、
もともと立法者リュクルゴスによる大改革以前のスパルタでは、
ギリシア神話における伝説的なスパルタ王であったエウリュステネスとその双子の兄弟であるプロクレスを始祖とするアギス家とエウリュポン家の王が世襲で統治を行う王政によって統治が行われていたと考えられているのですが、
その後、リュクルゴスの改革を経ることによって、
こうした2人の王を含む30人の有力者によって構成される長老会と、30歳以上のすべてのスパルタ市民によって構成される民会という二つの統治機関が新たに設置されることになります。
そして、
後者の統治機関にあたる民会においては、毎年行われる選挙によってエフォロイと呼ばれる5人の監督官が代表者として選ばれることになっていて、
こうした民会を代表する5人の監督官たちは国家の諮問機関でもあった長老会からの助言も受けつつ行政における大部分の決定権を担っていたと考えられるのに対して、
戦時における軍事的な指揮権については、国家の最高権力者にあたる2人の王に任さられることになっていたと考えられることになります。
ちなみに、
こうしたスパルタ国内におけるエフォロイと呼ばれる監督官たちの行政面における役割は、他国との条約の締結やさらには宣戦布告といった軍事的な外交政策なども含まれる多岐にわたるものであったと考えられていて、
例えば、詳しくは前回の記事で書いたように、
スパルタの若い兵士の集団が奴隷階級にあたるヘイロタイたちの戦力を減らしておくために屈強なヘイロタイの男を見つけて問答無用で殺害するというクリュプティアの慣習は、
こうしたエフォロイと呼ばれる監督官が毎年秋になるとヘイロタイに対する形式的な宣戦布告を行うことによって合法化がなされていたと考えられることになります。
そして、以上のように、
こうした古代ギリシアの都市国家であるスパルタにおける統治体制においては、
2人の王による王政と、そうした2人の王を含む30人の長老による貴族政、そして、30歳以上のすべてのスパルタ市民が参加する民会における民主政という
王政と貴族政と民主政という三つの政治体制が一つに融合した三位一体とも言える複雑な政治システムによって国家の運営がなされていたと考えられることになるのです。
・・・
次回記事:アテナイの建国とイオニア人との関係そして都市国家としてのアテナイにおける王政から貴族政への移行
前回記事:スパルタにおけるクリュプティアの慣習とヘイロタイの殺害の合法化そして戦時における秘密結社としてのクリュプティアの活動
「古代ギリシア史」のカテゴリーへ