現在の春分点がおひつじ座ではなくうお座に位置する理由とは?2000年の周期で黄道十二宮の隣の領域へ移動していく春分点
西洋占星術の土台となる黄道十二宮と呼ばれる天球上の黄道帯における十二の領域の区分のあり方においては、
天球上における太陽の通り道にあたる黄道と天の赤道との昇交点であり、地球上においては昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなる日にあたる春分点を基点として、
白羊宮、金牛宮、双児宮、巨蟹宮、獅子宮、処女宮、天秤宮、天蝎宮、人馬宮、磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮という十二の領域が定められていくことになるのですが、
現在の天球上においては、
こうした黄道十二宮の基点となる春分点の実際の位置は、黄道十二宮の最初の領域にあたる白羊宮に対応する十二星座にあたるおひつじ座ではなく、その隣に位置するうお座の近くに位置していると考えられることになります。
それでは、このように、
現在の天球上において黄道十二宮の基点となる春分点の実際の位置がおひつじ座ではなくうお座に位置する理由については、具体的にどのような形で説明していくことができると考えられることになるのでしょうか?
おひつじ座に対応する白羊宮が黄道十二宮の最初の領域とされた理由
そうすると、まず、詳しくは前回の記事で書いたように、
こうした黄道十二宮と呼ばれる天球上の黄道帯における十二の領域の区分のあり方は、紀元前1000年ごろの古代バビロニアの天文学のうちに大本の起源が求められることになり、
そうした古代バビロニアの時代において観測された春分点の位置を基準として、白羊宮や金牛宮といった天球上の黄道帯における十二の領域の区分のあり方が定められていくことになっていったと考えられることになります。
そして、
古代バビロニアの時代においては、春分点の位置は、天球上における実際の観測においてもおひつじ座の近くに位置していたと考えられることになるため、
そうした春分点が位置する星座にあたるおひつじ座に対応する白羊宮が黄道十二宮における最初の領域として位置づけられることになっていったと考えられることになるのです。
春分点が2000年の周期で黄道十二宮の隣の領域へと移動していく仕組み
しかし、その一方で、
こうした天球上における実際の春分点の位置は、歳差運動(さいさうんどう)と呼ばれる地球の自転運動の中心軸にあたる地軸の微細なブレの影響を受けるによって、
天球上における太陽の通り道にあたる黄道上を2万5800年ほどの周期で少しずつ西へと移動していくことになると考えられることになります。
そして、
こうした地球の歳差運動の影響に基づく天球上における春分点の位置のズレのあり方に基づくと、黄道十二宮における十二の領域との関係においては、
2万5800年÷12≒2150年
つまり、
だいたい2000年ほどの期間で、そうした天球上における春分点の位置は、黄道十二宮における隣の領域へと移動していくことになると考えられることになるのです。
現在の春分点の位置がおひつじ座ではなくうお座に位置する理由
そして、
実際の歴史の流れのなかでの春分点の位置の変遷のあり方においては、
古代ギリシアの天文学において、西洋占星術の基礎となる理論が整備されていった紀元前2世紀ごろの時代までは、春分点の位置はおひつじ座の西の端の方にとどまり続けていたと考えられることになるのですが、
その後、ちょうどユダヤのベツレヘムにおいてイエス・キリストが誕生したとされる紀元前後の時代に、春分点の位置はおひつじ座を離れてその西側のうお座の領域へと入っていったと考えられることになります。
そして、以上のような経緯から、
それから2000年ほどの時が流れた現在の時代においては、天球上における実際の春分点の位置は、うお座の西の端の方にあたる地点へと位置していると考えられることになるのです。
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次回記事:現代の時代がうお座からみずがめ座への移行期間として位置づけられる理由とは?
前回記事:古代バビロニア天文学へと遡る西洋占星術の起源と黄道十二宮の基点となる春分点の位置の変遷
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