実体は形相と質料のどちらの内に求められるのか?アリストテレスの『形而上学』における新たな実体の定義、実体とは?③
このシリーズの前回の記事で書いたように、アリストテレスの『カテゴリー論』における実体(ウーシア)の存在のあり方をめぐる一連の議論においては、
あらゆる述語づけの基底にある真に存在するものとしての実体の存在は、第一実体としての「個体」の存在と、第二実体としての「類と種」の存在へと区分されていく形で定義されていくことになるのですが、
その一方で、
こうした実体(ウーシア)についての問いをめぐる存在論の議論は、『カテゴリー論』そして『自然学』の後に位置づけられることになる『形而上学』においてにも主要な探求テーマとして取り上げられていくことになり、
そこでは、『カテゴリー論』における議論とはまた違った角度からこうした真なる実在としての実体の概念についての考察が進められていくことになります。
形相と質料のどちらの方が実体によりふさわしい存在なのか?
冒頭で述べたように、
『自然学』の後に位置づけられているアリストテレスの『形而上学』における存在論の議論では、
『カテゴリー論』において考察した個体や類や種としての言語学あるいは論理学的な意味における実体を現実の存在として実体たらしめている実体の実体あるいは実体そのものについての探求が進められていくことになります。
アリストテレスの哲学においては、現実の世界のうちに存在するあらゆる事物は、個々の事物の素材や材料となる質料(ヒュレー)と、そうした事物の形や姿を形づくる形相(エイドス)と呼ばれる二つの構成原理によって形成されていると説明されることになるのですが、
『形而上学』の存在論の議論においては、そうした形相と質料という二つの事物の構成原理のうち、
どちらの原理の方が、個体や類や種といった論理学的な意味における実体を実在的な意味において実体たらしめている実体そのものの存在としてよりふさわしい存在であると考えられるのか?という問いについての哲学的探求が進められていくことになるのです。
本質・普遍・類・基体という実体の四つの側面
そして、そこではまず、
そうした実体そのものとしての形而上学的な意味における実体の存在は、
その事物が「何であるかを」指し示す本質と、一つ一つの事物に「共通する性質」を表す普遍、その事物が「どのようなカテゴリーに属する」かを示す類、そして、その事物自体の「存在の土台」となる基体という四つの側面から捉えられていくことになり、
こうした実体が持つと考えられるそれぞれの側面について、形相と質料の両者がそれらの実体の側面が持つ基準を十分に満たしているのか?ということについての考察が進められていくことになります。
そして、
こうした本質・普遍・類・基体という実体が有する四つの側面のうち、
本質と普遍と類というはじめの三つの側面については、それが事物についての何らかの規定のあり方を意味する概念である以上、
事物の生成変化において、個々の事物に形や姿といった限定を与える側の原理である形相の方が、素材や材料として限定を受ける側の原理である質料よりも、そうした三つの側面における基準を十分に満たすより実体にふさわしい存在として捉えられることになるのですが、
それに対して、
最後に挙げられている基体としての側面においては、事物の生成変化を通じて常に一致の存在として持続し続けると考えられる素材や材料としての質料の存在の方が、
一見すると、事物自体の存在の土台となる基体としての実体によりふさわしい存在であるとも考えられることになるのです。
何ものでもない質料に存在規定を与える実体としての形相の存在
しかし、その一方で、
そうした限定を与えられる側の原理である質料自体は、形相によって規定を与えられる前の状態においては、量や性質あるいは概念といったいかなる意味でも存在規定を有していないと考えられ、
そうした形相を完全に除外した純粋な質料そのものの存在は、言わば、まだ何ものでもない存在として、現実の世界のうちにおいて確固とした存在として位置づけられる前の不確実な状態にある存在でもあると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
そうした何ものでもない不確実な存在としての純粋な意味における質料の存在は、それ自体で独立したものとして存在する真なる実在としての実体ではあり得ないと考えられることになるということから、
それとは反対に、そうしたそれ自身ではいまだ何ものでもない質料に対して特定の事物としての本質となる姿や形を与え、その事物を確固とした存在として成立させている形相の存在こそが、
最後の条件である基体としての実体の条件も満たす形而上学的な意味における実体として最もふさわしい原理であると考えられることになるのです。
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以上のように、
こうしたアリストテレスの『形而上学』における存在論の議論においては、
形而上学的な意味における実体の存在のあり方が、本質・普遍・類・基体という四つの側面へと分けて捉えられた上で、
こうした四つの実体の条件のすべてを満たす存在が質料ではなく形相の方であるということが論証されていくことによって、
そうした論理的学的な意味における実体を実在的な意味において実体たらしめている形而上学的な意味における実体の存在は、
世界のうちに存在するあらゆる事物の構成原理となっている形相(エイドス)と質料(ヒュレー)と呼ばれる二つの原理のうちの前者である形相(エイドス)のうちに求められていくことになるのです。
・・・
次回記事:現実態と可能態の違いとは?アリストテレス哲学における質料と形相との関係性と両者の概念の多義性
前回記事:形相とは何か?プラトンとアリストテレスの哲学におけるエイドスの概念の捉え方の違い
このシリーズの前回記事:第一実体と第二実体の違いとは?アリストテレスの『カテゴリー論』における二種類の実体の定義、実体とは何か?②
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