第一実体と第二実体の違いとは?アリストテレスの『カテゴリー論』における二種類の実体の定義、実体とは何か?②

前回の記事で書いたように、アリストテレスの哲学におけるウーシア(実体)についての問いをめぐる存在論の議論は、

『カテゴリー論』と『形而上学』と呼ばれる二つの書物に分けられる形で、それぞれの書物において互いに異なった観点から議論が進められていくことになるのですが、

そのうちの前者である『カテゴリー論』においては、こうしたウーシア(実体)と呼ばれるあらゆる述語づけの基底にある真に存在するもののことを意味する概念は、

さらに、第一実体第二実体と呼ばれる二つの実体の種類に分けて捉えられていくことになります。

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本質的述語づけと付帯的述語づけの違い

アリストテレスの『カテゴリー論』における存在論の議論においては、言葉同士の関係性としての述語づけのあり方をめぐる議論のなかで、

それぞれの述語が帰属する土台となる存在が基体ヒュポケイメノンhypokeimenonとして位置づけられたうえで、

そうした述語づけのあり方には、

「基体について語られる」タイプの述語づけと、「基体の内にあるものを示す」タイプの述語づけという二通りのタイプが存在すると分析されていくことになります。

そして、まず、

前者の「基体について語られる」タイプの述語づけにおいては、

例えば、

「リンゴは果物である」あるいは「リンゴは植物である」

というように、

述語づけられている基体である「リンゴ」という存在自体についてそれが「何であるか」が示されていると考えられるため、

こうした述語づけのあり方は、基体そのものの存在の本質についての説明がなされている本質的述語づけと呼ばれる述語づけのあり方として位置づけられることになります。

そして、それに対して、

後者の「基体の内にあるものを示す」タイプの述語づけにおいては、

例えば、

「リンゴは赤い」あるいは「リンゴは丸い」

というように、

述語づけられている基体である「リンゴ」という存在のうちに含まれている一部の性質の具体的なあり方が示されていると考えられるため、

こうした述語づけのあり方は、基体の存在の内に含まれている付属的な性質についての説明がなされている付帯的述語づけと呼ばれる述語づけのあり方として位置づけられることになるのです。

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第一実体としての「個体」と第二実体としての「類と種」の定義

そして、こうしたアリストテレスの『カテゴリー論』の議論においては、

あらゆる述語づけの基底にある真に存在するものとしてのウーシア(実体)の存在は、

厳密な意味においては、上述した二つの述語づけのあり方のうちのどちらのケースにおいても自らがほかの基体の述語にならない形で自分自身がほかの述語の基体として位置づけられるような存在

すなわち、

ほかのいかなる基体の述語にもならずに、ほかのいかなる基体のうちに含まれることもないそれ自体として存在するものとして定義されることになり、

そうした厳密な意味における実体の存在は、「ソクラテス」や「東京タワー」といったある特定の人物やある特定の事物のことを意味する個体概念のうちに求められていくことになります。

そして、

アリストテレスの『カテゴリー論』における存在論の議論においては、

こうした個体としてのそれ自体で存在する真なる実在としてのウーシア(実体)の概念があらゆる述語づけの基底に存在する第一実体として位置づけられたうえで、

「第一の実体が存在しなければそれ以外の何ものも存在し得ない」

とまで語られていくことになるのですが、

それに対して、

「人間」や「リンゴ」や「塔」といった様々な個体の集合体のことを意味する類や種といった普遍的な概念については、

例えば、

「ソクラテスは人間だ」あるいは「東京タワーは塔だ」

といった表現などにみられるように、それがほかの基体の述語としても機能してしまうことがあるという点で、

前述した「ほかのいかなる基体の述語にもならずに、ほかのいかなる基体のうちに含まれることもないそれ自体として存在するもの」という実体の定義を厳密な意味では満たしていないと考えられることになるのですが、

その一方で、

こうした類や種と呼ばれる普遍的な概念は、個体と呼ばれる個別的な概念の集合体であると同時に、その上位概念としても位置づけられることになるので、

それは、前述した第一実体としての個体の存在に次ぐ真なる実在である第二実体として位置づけられていくことになるのです。

・・・

以上のように、

アリストテレスの『カテゴリー論』における存在論の議論においては、

基体に対する述語づけのあり方が本質的述語づけ付帯的述語づけと呼ばれる二つの述語づけのあり方へと区分されていったうえで、

そうした基体と述語の関係性についての分析に基づいて、それ自体で存在する真なる実在としてのウーシア(実体)のあり方が、

第一実体としての「個体」の存在と、第二実体としての「類と種」の存在へと区分されていく形で定義されていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:形相と質料の違いとは?アリストテレスの『自然学』における形相(エイドス)と質料(ヒュレー)の定義

前回記事:実体とは何か?①古代ギリシア哲学におけるウーシア(実体)の具体的な意味

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