形相と質料の違いとは?アリストテレスの『自然学』における形相(エイドス)と質料(ヒュレー)の定義
形相と質料という言葉は、それぞれギリシア語において形や姿のことを意味するエイドス(eidos)と、素材のことを意味するヒュレー(hyle)という言葉の訳語にあたる言葉であり、
こうした形相と質料と呼ばれる概念は、両方とも古代ギリシア哲学のなかでも、特に、アリストテレスの哲学に直接的な起源を持つ概念であると考えられることになります。
それでは、こうした形相(エイドス)と質料(ヒュレー)という二つの対となる概念は、それぞれの概念の定義が明確な形で定められていくことになる
アリストテレスの『自然学』の議論においては、具体的にどのような意味を持つ概念として位置づけられていると考えられることになるのでしょうか?
変化を通じて同一のものとして存続し続ける基体となる何ものかの存在
アリストテレスの『自然学』における自然的事物あるいは自然の内に存在する様々な物質的存在の生成と変化の議論においては、
まず、そうした様々な事物の生成や変化の前後には、
変化前の事物の元の状態と変化後に新たに生じた状態という二つの状態の存在あり方のほかに、そうした二つの状態の間の変化を通じても存続し続ける第三の存在が成立していることが必要であるという考え方が提示されていくことになります。
例えば、
「壁の色が茶色から灰色へと塗り替えられた」
という事物の変化のあり方においては、
変化前における「茶色」の壁の状態と、変化後における「灰色」の壁の状態という二つの状態の存在のほかに、
そうした二つの状態の間の変化を通じても同一のものとして存続し続けている「壁」そのものという存在が見いだされることになりますが、
このように、
一般的な事物における生成や変化といった概念は、そうした変化の前後を通じて常に同一のものとして存続し続けている何らかの存在、
すなわち、そうした変化の土台となるような基体となる何ものかの存在を前提とすることによってはじめて成立する概念であると考えられることになるのです。
アリストテレスの『自然学』における形相(エイドス)と質料(ヒュレー)の定義
それでは、
こうした同一的な事物の状態の変化としての生成や変化のあり方に対して、
例えば、
もともとそこには何もなかった場所に新たにダビデ像のような彫像が建てられたといった場合、こうした元となる同一の事物がそれ以前には存在しない事物の生成のあり方においては、どのような説明がなされることになるのか?ということについてですが、
アリストテレスは、そのような場合においても、
無からは何も生じ得ないと考えられる以上、そこにはそうした生成や変化の土台となる何らかの基体となる存在を見いだしていくことは可能であると考えていくことになります。
例えば、上述したダビデ像の場合、
そうしたダビデの姿をした彫像が新たに形づくられるためには、そのための材料となる何らかの元となる素材が必要となると考えられ、
ダビデ像の場合には、その石像の姿が実際に切り出されていくことになる前の大理石の存在がそうした彫像の生成における基体あるいは素材となる存在して位置づけられることになります。
つまり、
ダビデ像のような彫像の生成においては、
その彫像の素材となる大理石に、彫刻家がダビデと呼ばれる人物の姿かたちを刻み込んで実際に石を切り出していくことによってはじめて、ダビデ像という一つの彫像が新たに生成することになると考えられることになり、
アリストテレスは、
こうしたダビデ像の生成を通じて変わることなく存続し続けている大理石のような素材や材料となる存在のことを質料(ヒュレー)、
それに対して、
そうした生成変化の前後において新たに与えられる姿や形、状態や性質さらには概念や本質といったものの存在のことを形相(エイドス)として定義していくことになるのです。
・・・
そして、以上のように、
こうしたアリストテレスの哲学における『自然学』の議論においては、世界の内に存在するあらゆる事物の生成と変化のあり方は、
形相(エイドス)と質料(ヒュレー)という二つの原理の組み合わせによって、すべて説明しつくされていくことになると考えられることになるのです。
・・・
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