神の存在の目的論的証明とは何か?①新約聖書の「ローマの信徒への手紙」における目的論的証明の原型となる記述
前回までの記事では、神の存在証明に関する一連の議論として、トマス・アクィナスにおける宇宙論的証明や、アンセルムスやデカルトにおける存在論的証明、
あるいは、そうした旧来の神の存在証明のあり方を批判するカントにおける実践理性における神の存在の必然的な要請のあり方などについて詳しく考察してきましたが、
こうした神の存在証明と呼ばれる神の実在性の論証のパターンのあり方としては、その中でも代表的なものとして、さらにもう一つ、目的論的証明と呼ばれる神の存在証明のパターンを挙げることができると考えられることになります。
「ローマの信徒への手紙」における目的論的証明の原型となる記述
神の存在証明における目的論的証明と呼ばれる論証のあり方とは、一言でいうと、
天体の秩序だった運行のあり方や、生命体における複雑で精緻な構造を持った自然の造形のあり方が、それが人間の手によって作り出された人工物ではないにもかかわらず、特定の目的にかなった秩序を有する存在として捉えられることから、
そうした自然の造形における合目的的な精巧な秩序のあり方を根拠として、それらの自然における事物を自らの意志によってつくり上げた創造主としての神の存在の実在性を論証していくという神の存在証明のあり方として定義されることになります。
そして、
こうしたのちに目的論的証明と呼ばれることになる神の存在証明のあり方の原型となる議論の形は、すでに、1世紀から2世紀にかけて成立したキリスト教の聖典である新約聖書における以下のような記述において見いだしていくことができると考えられることになります。
・・・
不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
(「ローマの信徒への手紙」1章 18~20節)
このように、上記の聖書の記述においては、
神の永遠の力と神性としての目に見えない神の性質、すなわち、この世界そのものを創り上げた創造主としての神の全知全能の知性のあり方は、
被造物、すなわち、神の知性と意志の力によって創り上げられたこの世界の内に存在するあらゆる事物の内に、すでに自明なものとして現れているという考え方が示されていると考えられることになります。
つまり、
こうした「ローマの信徒への手紙」の1章における使徒パウロの手によって書かれたとされる聖書の記述においては、
天上の世界における太陽や月やその他の星々において見られる秩序だった天体の運行や、地上の世界における規則的な季節の循環、
空から降り注ぐ雨が大地を潤して植物を育て、川となって動物たちの喉を潤し、大地を流れてやがて海へと流れ着くとそこで海の生物たちを育んで、さらに水蒸気となって再び空へと戻っていくという生命の目的にかなった水の循環の仕組み、
さらには、そうした植物や動物といった生命体が持つそれぞれの生物の目的にかなった複雑で精緻な構造といった自然の造形のあり方は、単なる偶然によって生じたとは到底考えられず、
それらの事物はすべて全知全能なる創造主としての神の御業によってそれぞれの目的にかなうように創り上げられた被造物であるとしか考えられないという
神の目的論的証明の原型となる考え方が示されていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:神の存在の目的論的証明とは何か?②ガッサンディの原子論に基づく自然界の機械論的な秩序と原子の創造者としての神の実在
前回記事:神の存在の道徳論的証明とは何か?カントの実践理性における必然的な要請として神の存在の確信
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