ヨハネの黙示録で世界の終末の時に現れる黙示録の獣が七つの頭と十本の角と十の王冠を持つ異形の姿で描かれている理由とは?
前回までの記事において詳しく考察してきたように、新約聖書のヨハネの黙示録における記述のなかでは、世界の終末の時に現れるとされている黙示録の獣は、まずは、海の中からその姿を地上へと現していくことになり、
そうした海の中から現れる黙示録における第一の獣は、新約聖書の記述においては、七つの頭と十本の角と十の王冠を持つという獣というよりはむしろ、ヤマタノオロチのような巨大な怪物を思わせるような恐ろしい姿を持つものとして描かれていくことになります。
それではいったいなぜ、こうした黙示録の獣と呼ばれる世界の終末の時に際して悪しき人々を滅びの道へと導いていくことになる偉大なる力を持った獣の存在は、
聖書のなかの記述においては、そうした七つの頭と十本の角と十の王冠を持つという異形の姿をした存在として描かれていると考えられることになるのでしょうか?
新約聖書のヨハネの黙示録における七つの頭と十本の角と七つの王冠を持つ竜としてのサタンの姿
そうするとまず、以前に「ヨハネの黙示録の獣とサタンとの関係とは?」の記事のなかで詳しく考察したように、
こうした世界の終末の時に現れるとされている黙示録の獣の存在は、新約聖書のヨハネの黙示録における記述においては、具体的には以下のような形で言及されていくことになります。
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わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。
わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。
この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」13章1節~4節)
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つまり、
こうしたヨハネの黙示録において獣と呼ばれている存在は、それ自身よりもさらに前に存在していた竜と呼ばれる存在から力と王座と権威とを引き継ぐことによって、地上の世界を支配するという偉大な力を手にすることになると記されているのですが、
こうした黙示録において獣に力と権威を与える存在として位置づけられている竜の存在は、さらに、それ以前のヨハネの黙示録における記述においては、以下で示すように、悪魔やサタンの化身にあたるような存在として位置づけられていくことになります。
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また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。 …
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。…」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」12章3節と9節より抜粋)
・・・
そして、このように、
ヨハネの黙示録においては、サタンの化身として位置づけられている火のように赤い大きな竜と呼ばれている存在は、七つの頭と十本の角と七つの冠を持つ存在として描かれているのですが、
こうしたヨハネの黙示録における竜としてのサタンの姿は、頭にかぶっている冠の数にこそ若干の違いが見られるものの、前述した七つの頭と十本の角と十の王冠を持つとされている黙示録の獣の姿とほとんど同じ姿をした存在として描かれていると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうしたヨハネの黙示録の記述において示されている黙示録の獣の七つの頭と十本の角と十の王冠を持つという異形の姿は、
直接的には、こうした黙示録の獣と呼ばれる存在にその力と権威のすべてを与えた竜としてのサタンの姿になぞらえてそうした異形の姿として描かれていくことになったと考えられることになるのです。
新旧約聖書のエゼキエル書における四つの顔と四つの翼と四本の手を持つサタンが堕天する前のケルビムの姿
そして、
こうした黙示録の獣の異形の姿の直接的な由来となったサタンの姿の源流は、さらに、旧約聖書におけるサタンや天使の存在についての記述へと求めていくことができると考えられることになります。
以前に「旧約聖書のエゼキエル書において記されているサタンの天上での栄光から地上への堕天」の記事で詳しく考察したように、
旧約聖書のエゼキエル書のなかでサタンについての記述がなされていると考えられる箇所では、
サタンは、日本語では智天使として訳されることになるケルビムと呼ばれる高位の天使のうちの一人として列せられた者が、のちに神の怒りに触れることによって地上へと落された堕天使にあたるような存在として位置づけられているのですが、
同じエゼキエル書の記述においては、かつてはサタンもその一員として位置づけられていたケルビムと呼ばれる天使たちの姿は、具体的には以下のような形で描かれていくことになります。
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わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。
またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。 それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。 また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。
翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。
その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。…
主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。 ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。
これがケバル川の河畔で、わたしがイスラエルの神のもとにいるのを見たあの生き物である。わたしは、それがケルビムであることを知った。
そのそれぞれに四つの顔と四つの翼があり、翼の下には人間の手の形をしたものがあった。 これらの顔の形は、まさしく、わたしがケバル川の河畔で見た顔であった。それらは同じような有様をしており、おのおのまっすぐに進んで行った。
(旧約聖書「エゼキエル書」1章4節~10節、10章18節~22節)
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つまり、
こうした旧約聖書のエゼキエル書における記述においては、堕天する前のサタンがその一員に加えられていたと考えられるケルビムと呼ばれる天使の姿は、
四つの顔と四つの翼と四本の手を持ち、人間の顔と獅子の顔と牛の顔と鷲の顔とを持っていて、青銅のような光を放ちながら天空を駆けめぐっていくという、やはり、異形の姿をした存在として描かれていると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
新約聖書のヨハネの黙示録において登場する黙示録の獣の姿は、
同じにヨハネの黙示録において自らの力と権威のすべてを獣に与えた存在として位置づけられている七つの頭と十本の角と七つの王冠を持つ竜としてのサタンの姿と、
さらには、そうしたサタンと呼ばれる存在が堕天して地上へと落されてしまうことになる前の本来の姿にあたる四つの顔と四つの翼と四本の手を持つケルビムと呼ばれる天使の姿に基づいて、
こうした黙示録の獣の姿は、七つの頭と十本の角と十の王冠を持つという異形の姿をした存在として描かれていくことになっていったとも解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:新約聖書のヨハネの黙示録と旧約聖書におけるダニエル書とイザヤ書とエゼキエルという三つの預言書との関係とは?
前回記事:ヨハネの黙示録におけるサタンと二匹の獣の三位一体の関係、力と権威を象徴する第一の獣と知恵と狡猾さを象徴する第二の獣
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