ヨハネの黙示録におけるサタンと二匹の獣の三位一体の関係、力と権威を象徴する第一の獣と知恵と狡猾さを象徴する第二の獣
前回までの記事において考察してきたように、新約聖書のヨハネの黙示録における記述では、七人の天使が吹く七つのラッパの音の後に訪れることになる世界の終末と災厄の時に際して、
竜の姿をしたサタンと、海中から現れる第一の獣、そして、地中から現れる第二の獣という大いなる力を持った三つの邪悪な存在が順番に登場していくことになるのですが、
今回の記事では、そうしたヨハネの黙示録において登場するサタンと二匹の獣たちのそれぞれの位置づけのあり方と互いの関係性といったことについて、改めて詳しく考察していきたいと思います。
サタンの力と権威を象徴する第一の獣と知恵と狡猾さを象徴する第二の獣
そうすると、まず、
こうしたヨハネの黙示録において登場する海中と地中から現れた二匹の獣の存在は、両方とも、竜の姿をしたサタンから悪徳を行う人々を自らの支配のもとに従えて滅びの道へと導いていく権能を与えられることによって、
世界の終末の時においる地上の支配者として君臨していくことになると考えられることになるのですが、
ヨハネの黙示録の記述においては、
先に海中から地上へと現れることになる第一の獣は、七つの頭と十本の角と十の王冠を持つという獣というよりはむしろ、ヤマタノオロチのような巨大な怪物を思わせるような異形の姿を持つ者として描かれているのに対して、
それに続いて地中から地上へと現れることになる第二の獣は、その姿についてはただひとことヤギのような二本の角を持つとだけ記されていて、そのあとにはこの獣は言葉巧みな話術を用いることによって人間の心を惑わす能力を持ち、
自分の言葉に従う人々に獣の像を造らせることによって第一の獣を崇拝させて、その服従の証として人々の右手と額に「666」という獣の数字の刻印を与える存在として語られていくことになるように、
こうした第一の獣と第二の獣と呼ばれる黙示録における二匹の獣の間には、大きな特徴の違いが見いだされていくことになると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうしたヨハネの黙示録において記されている第一の獣と第二の獣と呼ばれると二匹の獣は、それぞれ、
第一の獣は、竜としてのサタンの力と権威を象徴する存在、
第二の獣は、竜としてのサタンの知恵と狡猾さを象徴する存在
として位置づけられていると解釈していくことができると考えられることになるのです。
ヨハネの黙示録におけるサタンと二匹の獣との間の三位一体の関係
以上のように、
こうした新約聖書のヨハネの黙示録における記述において、人類を滅亡の道へと導いていくことになる第一の獣と第二の獣と呼ばれる二匹の獣の存在は、
竜の姿をしたサタンによって、サタンが持つ力と権威、そして、知恵と狡猾さといった権能をそれぞれ分有していく形で与えられていくことになると考えられることになるのですが、
そういった意味では、単純に考えれば、
こうしたサタンと第一の獣と第二の獣と呼ばれる二匹の獣との関係は、前者の竜としてのサタンに対して、後者の黙示録における二匹の獣たちは、サタンに仕える闇の使徒あるいは使い魔のような関係、
あるいは、そうしたサタンや悪魔と呼ばれる存在が蛇から竜へ、竜から獣へと姿を変えていったサタンの化身にあたるような存在として捉えていくことができると考えられることになります。
そして、さらに言うならば、
こうしたサタンと二匹の獣たちとの間には、どの一体が欠けていても、「666」という獣の数字の刻印に代表されるようなヨハネの黙示録における終末の予言が成就することがないという互いに不可分な関係が成立しているとも捉えることができると考えられることになるため、
そういった意味では、より正確に言えば、
キリスト教の教義において、ちょうど父なる神と子なる神と聖霊との間に互いに不可分な光の世界における三位一体の関係が成立しているのと同様に、
ヨハネの黙示録における記述においては、こうしたサタンと第一の獣と第二の獣という三つの邪悪な存在の間には、互いに不可分な一体をなす闇の世界における三位一体の関係が成立しているとも解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:ヨハネの黙示録で世界の終末の時に現れる黙示録の獣が七つの頭と十本の角と十の王冠を持つ異形の姿で描かれている理由とは?
前回記事:ヨハネの黙示録における第一の獣と第二の獣の関係とは?「666」という獣の数字の刻印を与える黙示録の獣として第二の獣の存在
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