「満足な豚より不満足なソクラテス」の由来と真意とは?②ただ生きることと善く生きることの違い
前回書いたように、
「満足な豚より不満足なソクラテス」という言葉として語られることが多いこの格言は、
もともとはイギリスの社会思想家であったジョン・スチュアート・ミルが自身が提示する質的功利主義のことを分かりやすく示すための例えとして用いた
「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」という言葉に由来することになります。
そして、
上記のような愚者とソクラテスにおける生き方の質的な差異について言及するミルの念頭には、以下のようなソクラテスの考え方があったと考えられることになるのです。
ただ生きることと善く生きることの違い
ソクラテスは、『クリトン』における友人クリトンとの対話の中で、人間が生きるべきあり方について以下のように語っています。
一番大切なことはただ生きることではなく、善く生きることである
(プラトン著、『クリトン』、第8節)
それでは、
ここでソクラテスが言う「善く生きる」とはいかなる生き方のことを指していて、それは「ただ生きる」ということとはどのように違うのか?ということですが、
こうしたことについては、『クリトン』の中では、さらに以下のように語られている箇所があります。
『クリトン』では、アテナイの人々の手による民衆裁判によって死刑判決を下されたのち、毒人参の杯をあおいで死を迎えるまでの時を牢獄の中で過ごしているソクラテスの姿が描かれているのですが、
そのような中、面会に訪れた友人クリトンが牢獄からの脱獄とアテナイの国外への逃亡を勧めるのを聞いていたソクラテスは、
彼を思う友人の勧めとは反対に、法によって定められた裁判の結果を受け入れることが正義に適った善く生きる生き方であることを様々な論駁の議論によって示していくことになります。
そうした論駁の中で、ソクラテスは、
クリトンの勧めに従って国外へと逃亡することになった場合、自分が落ちのびることになる土地としてアテナイの北西にあったギリシア中部の都市国家テッサリアのことを例に挙げながら、自問自答していく形で、以下のように自分自身に語りかけることになるのです。
お前は、こうした地方を立ち退いて、クリトンの友人たちを頼ってテッサリアへと行こうとでもするのだろう。…
しかし、いったいお前はテッサリアに行って何をしようというのだ?ご馳走になること以外には、あたかもテッサリアへと引っ越したのは食事にありつくためであったとでも言うように!
(プラトン著、『クリトン』、第15節)
ここで、ソクラテスは、
自分が法を破るという行為を犯してまで国外へと逃亡した場合、そのような正義を踏みにじる恥ずべき行為を犯した自分が道徳や正義について語っても、そのことに聞く耳を待つ人はもはや誰もいなくなってしまうであろうし、
何よりも、そのようなことをしてまで生きのびても、ソクラテス自身の生き甲斐であり、生きることの最大の目的である善美なるものについての探究と、善く生きることの追求が果たせなくなってしまうということを問題にしていると考えられることになります。
そして、
そのようにしてまで生きながらえるとするならば、それはいったい何のためか?ということになりますが、
そこには、不正を犯しては食事にありつき、ただ食欲を満たし続けること以上の生きる目的はどこにもないと考えられることになります。
そして、ソクラテスは、
こうした食事にありついてただ生きることのためだけに生きていくあり方は、自分自身が目指している善く生きることによって、善く死ぬことを受け入れる生き方よりも価値がある生き方であるとは自分には到底思うことができない、ということを語っていると考えられるのです。
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以上のように、
『クリトン』の中で示されているソクラテスの人生観においては、
ただ食事にありつき、食欲を満たし続けるといったただ生きるだけの生き方は人間の生き方としては不十分であり、
人間が人間である以上、ただ生きること以上に、善美なるものについての知を探究し、自らが正義に基づいて正しく生きようとする善く生きることを求め続ける生き方がより価値のある生き方として求められていると考えられることになります。
そして、
ソクラテスが自らの信念に従って、自らが善く生きるために法によって定められた死を受けいれた、そのおよそ2000年後の時代を生きたミルも、
こうしたソクラテスにおける人生についての考え方と善く生きることの価値を
念頭に置いたうえで、
冒頭の「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」という言葉を残したと考えられることになるのです。
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前回記事:「満足な豚より不満足なソクラテス」の由来と真意とは?①ミルとベンサムの功利主義の違い
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