「情動分離」と「知性化」の過程における無意識の領域の内への感情の永続的な抑圧と再統合のあり方の違い、防衛機制とは何か?⑰
前回書いたように、深層心理学の分野において、「情動分離」あるいは単に「分離」と呼ばれる自我の防衛機制の働きにおいては、
自分が置かれた過酷な状況に対する認識や、自らの人格が受け入れがたいような行動のあり方に対応するために、そうした認識や行動のあり方から感情や情動の部分だけが取り去られたうえで、
そのようにして自らの意識の内から分離された感情は、無意識の領域の内へと抑圧されていくことになると考えられることになります。
そして、それに対して、
前々回の記事で取り上げられた「孤立」から「知性化」へと向かう心理的な過程においても、こうした「情動分離」において見られる心の働きと同様に、自分自身の心の内における感情の隔離と分離が進んでいくことになると考えられることになるのですが、
こうした両者の心の働きにおける感情の分離のあり方には、分離されることになった感情や情動のその後の取り扱われ方といった点において、大きな違いが見いだされていくことになると考えられることになります。
「情動分離」の働きにおける感情の分離と無意識の領域への永続的な抑圧
まず、冒頭でも述べたように、
共に自我の防衛機制のあり方の内の一つとして数えられる「情動分離」や「分離」と呼ばれる心の働き、そして、「孤立」から「知性化」へと向かう過程においては、
はじめの段階においては、両者の自我の防衛機制の働きのどちらの場合においても同様に、過酷な状況に対する心理的なストレスから自分自身の心を守るために、
そうしたストレス状況に対応した感情や情動のあり方が、自我や意識的な思考の内から分離されて、無意識の領域への内へと抑圧されていくことになると考えられることになります。
そして、
こうした二つの心理的な過程の内の前者である「分離」や「情動分離」と呼ばれる心の働きにおいては、自分自身の心の内で思考と感情、あるいは、行動と感情とが分離されたうえで、
そうした心の内部で隔離された感情や情動は永続的に無意識の内に抑圧され続けていくことになり、
後になって、そうした無意識の領域の内に押し込められた感情の一部が暴走することによって、自分の意志によって抑えようとしても抑えきることができない強迫観念に基づく異常行動の引き金となってしまうようなケースなどもあると考えられることになるのです。
「知性化」の過程における抑圧された感情の観念化と再統合
そして、それに対して、
「孤立」から「知性化」へと至る心理過程においては、いったんは意識の領域から分離されることによって、無意識の領域の内に抑圧されていたはずの感情や情動は、
そうした感情や情動の源となる心理構造の論理的な分析などを経ることによって観念化された形へと整理されていくことになり、
そのようにして観念化された安定した状態へと移行した感情や情動は、再び自らの意識の内へと取り入れられていくことによって、新たな形での思考と感情の再結合が進展していくことになると考えられることになります。
つまり、一言でいうと、
「分離」や「情動分離」と呼ばれる自我の防衛機制のあり方においては、いったん自らの心の内で分離された感情や情動は、そのまま無意識の領域へと抑圧された状態の内にとどまり続けることになるのに対して、
「孤立」から「知性化」へと至る心理的過程においては、そうした分離された感情や情動は、感情の観念化の過程を経ることによって、再び自らの心の意識の領域の内へと再統合されていくことなるといった点において、
両者の心の働きの間における具体的な性質の違いを見いだすことができると考えられることになるのです。
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次回記事:強迫神経症と「抑圧」そして「情動分離」との関係とは?無意識の領域における思考と感情および行動と感情の分裂、防衛機制とは何か?⑱
前回記事:防衛機制としての「分離」および「情動分離」の定義と具体例とは?無意識の領域における感情の分離と抑圧の進展、防衛機制とは何か?⑯
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