秦と漢帝国はどちらの方がどのくらい大きかったのか?①建国初期の漢帝国と始皇帝の時代の秦の支配領域の大きさの比較

始皇帝以前の古代中国の統一王朝と秦の支配領域の規模の比較の記事で書いたように、

黄河長江が流れる華北と華南の全領域を支配する漢民族の統一国家としての中国の原型となる姿は、始皇帝の時代の秦において成立したと考えられることになります。

そして、

こうした始皇帝によって築かれた秦の帝国は、圧政などに対する民衆や諸侯の不満の高まりによって各地で反乱が続発したことによって、天下統一を果たしてからわずか14年で滅亡してしまうことになるのですが、

そのすぐ後に劉邦によって建国された漢帝国は、途中、王莽(おうもう)による帝位の簒奪と新の建国による断絶をはさみながらも、その後の400年間もの長きにわたって存続し続けていくことになります。

それでは、

こうした始皇帝の時代における秦の帝国と、その後の劉邦によって建国された漢帝国とでは、どちらの帝国の方がどのくらい規模が大きかったと考えられることになるのでしょうか?

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劉邦による漢の建国と初期の時代における漢帝国の支配領域

始皇帝の時代の秦と建国初期の漢帝国の支配領域の比較1

冒頭でも触れたように、

紀元前210年に始皇帝が死去すると、帝国内の民衆や諸侯の間でそれまで耐えてきた帝国の圧政に対する不満が噴出しはじめ、

辺境地域の国境警備のために派遣されていた軍団の反乱をきっかけとしてはじまった中国初の農民反乱である陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)を先駆けとして、帝国内の各地で反乱が続発していくことになります。

そして、

そうした数多くの秦に対する反乱勢力の中から、もともとは農民の出自である劉邦(りゅうほう)が率いる軍勢がいち早く秦の首都であった咸陽へと入城し、

3代秦王であった子嬰(しえい)の降伏を受け入ることによって、新たに自らの王朝であるを打ち立てていくことになります。

しかし、

この段階においては、いまだ劉邦は、秦の帝国の領土を引き継ぐ可能性のある候補者たちの中で最大の勢力を持っていたわけではなく、

始皇帝が滅ぼした楚・燕・斉・韓・魏・趙の六国の中で最も広い領土を有していた(そ)の国の軍勢を率いていた項羽(こうう)が最大の勢力として台頭してくることになるのですが、

こうした項羽と劉邦の両雄の間の激しい抗争の末、

紀元前202、ついに項羽を破って天下の統一を果たした劉邦は、群臣たちのすすめに応じる形で、漢の高祖として新たな統一国家の帝位につくことになるのです。

しかし、

こうした高祖や、その後の恵帝文帝景帝といった初期の頃の漢帝国における帝国領内の統治と、対外勢力に対する自国領土の防衛は必ずしもうまくいっていたわけではなく、

例えば、

劉邦は、漢の高祖として皇帝となったのち、秦の始皇帝と同様に、すぐに北方の遠征へと乗り出し、モンゴル高原を支配していた匈奴の討伐を試みることになるのですが、

匈奴の王であった冒頓単于(ぼくとつぜんう)が率いる強大な騎馬軍団の反撃によって返り討ちにあって敗走してしまい、かねてから黄河の北端の係争地であったオルドス地方の支配権を明け渡し、

蛮族として見ていた匈奴を兄漢を弟としたうえで、漢から匈奴へと毎年貢ぎ物を送り、漢の皇女までもつかわすという屈辱的な盟約まで結ばされてしまうことになります。

また、こうした高祖とそれに続く初期の皇帝たちの時代には、

一度は漢帝国の支配に服していた北方の国である(えん)なども反旗を翻し、その後も、(そ)や(ご)といった東方の諸国においても反乱が相次いでしまうことになる一方で、

南方においては、南海郡の総督を務めていた趙佗(ちょうだ)によって南越国が建国されるなど、始皇帝の時代の秦の支配下にあった辺境の各地で勢力の自立化が進展していってしまうことになるのです。

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始皇帝の時代の秦と建国初期の漢帝国の支配領域の大きさの比較

始皇帝の時代の秦と建国初期の漢帝国の支配領域の比較2

以上のように、

劉邦による建国当初の漢帝国は、国力や軍事力の規模などにおいては、始皇帝の時代の秦にはいまだ及ばないところがあり、

北方では遊牧騎馬民族である匈奴に敗れて黄河北端のオルドス地方の支配権を失い南方では南越国の自立を招き、

そのほか、燕や楚や呉といった帝国領内の諸国の離反や反乱なども相次ぐなど、その統治のあり方には、いまだ不安定な部分が多々見られ、

全体として、天下統一を果たした後の比較的初期の時代における漢帝国の領土は、それ以前の始皇帝の時代の秦と比べて一回りくらい小さい支配領域へと後退してしまっていたと考えられることになります。

しかし、それに対して、

詳しくはまた次回の記事で改めて詳しく書いていくように、

その後の前漢の第7代皇帝である武帝による治世の時代において、漢帝国では、かつての始皇帝の時代の秦を凌ぐほどの大規模な領土の拡大が進められていくことになるのです。

・・・

次回記事:秦と漢の最大版図の大きさの比較と武帝による匈奴討伐と西域への領土拡大、秦と漢帝国はどちらの方が大きかったのか?②

前回記事:秦の始皇帝時代の中国はどのくらい大きかったのか?現在の中華人民共和国と古代の周王朝における支配領域の大きさとの比較

関連記事:秦の始皇帝が中国における最初の皇帝とされる歴史上の理由とは?始皇帝以前の古代中国の統一王朝と秦の支配領域の規模の比較

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