秦の始皇帝時代の中国はどのくらい大きかったのか?現在の中華人民共和国と古代の周王朝における支配領域の大きさとの比較
前回(書いたように、古代中国においては、秦の始皇帝の時代に歴史上はじめて華北と華南を含めた中国全土の統一が成し遂げられ、支配領域の大規模な拡大が進められていくことになったと考えられることになります。
それでは、
こうした秦の始皇帝の時代の統一国家としての中国の大きさは、それ以前の周王朝における領土の大きさや、現代の中国、すなわち、中華人民共和国における支配領域の大きさと比べて、
いったいどのくらいの規模を持った大きさであったと考えられることになるのでしょうか?
周王朝の支配領域と始皇帝の時代の秦の最大版図の比較
中国歴代の統一王朝における支配領域の比較のうち、秦の始皇帝が現れる以前の統一王朝の中では最大の支配領域を誇っていた周王朝と始皇帝の時代の秦の最大版図の比較については、すでに、前回の記事で詳しく考察しましたが、
こうした両者の王朝における支配領域の大きさを互いに重ね合わせていく形で改めて直接的に比較してみると以下のようになります。
このように、
周王朝の支配領域と始皇帝の時代の秦の最大版図を重ね合わせてみると、明らかなように、
始皇帝の時代の秦は、周王朝の時代の支配領域をすべて包み込む形で、そこから全方位に向かって大きく領土を拡大していて、
その支配領域全体の大きさは、周王朝の時代の支配領域の約2.5倍程度にまで膨らんでいたと考えられることになります。
そして、
こうした周王朝の時代から始皇帝の時代の秦にかけての支配領域の拡大のあり方の方向性については、
特に、南海郡(なんかいぐん)・桂林郡(けいりんぐん)・象郡(しょうぐん)の三郡が置かれた南方方面への領土拡大が顕著に見られることになり、
その最大版図は、中国の南部である華南地方だけにとどまらず、遠くは現在のベトナム北部の一部にまで及んでいたと考えられることになるのです。
始皇帝の時代の秦と現在の中華人民共和国の支配領域の大きさの比較
それでは、次に、
こうした始皇帝の時代の秦の最大版図と、現在の中国、すなわち、中華人民共和国における支配領域の大きさを比較した場合、
その支配領域の広さにはどのくらいの大きさの違いがあったと考えられるのか?ということについてですが、
上記の図において示したように、
現在の中華人民共和国は、始皇帝の時代の秦の領土から、さらに、西方と北東部へと向けて大きく領土を拡大していて、
その支配領域全体の大きさは、始皇帝の時代の秦の最大版図からさらに2.5倍程度の大きさにまで及んでいると考えられることになります。
そして、
そうした始皇帝の時代から現代へと至るまでの支配領域の大規模な拡大を通じて、
統一国家としての中国の内部には、モンゴル人や、ウイグル人、チベット民族といった漢民族以外の人々も数多く含む多様な民族が生活を営んでいる地域がその支配領域の内へと組み込まれていったと考えられることになるのです。
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以上のように、
周王朝の時代から始皇帝の時代の秦へと至るまでの千年間の間に、その支配領域を南部へと大きく広げていった中国は、さらに、そこから二千年の間に、西方と北東部へと支配領域を拡大させていくことになり、
現在の中国は、周王朝の時代と比べるとおよそ6倍、秦の始皇帝の時代と比べてもおよそ2.5倍程度の支配領域を得るに至っていると考えられることになります。
そして、このように、
現在の中国は、前述したベトナム北部の一部を除いたほぼすべての領域において、始皇帝の時代の秦の領土を大きく上回る支配領域を確保していると考えられ、
こうしたもともとの歴代の古代中国の王朝や始皇帝の時代の秦の大きさと比べても、現在の中国の大きさはさらに飛び抜けて大きい広大な支配領域を有していると考えられることになるのですが、
その一方で、
黄河と長江が流れる華北と華南の全領域を支配する漢民族の統一国家としての中国の姿は、
すでに、こうした秦の始皇帝の時代において、その原型が完成していたとも考えられることになるのです。
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次回記事:秦と漢帝国はどちらの方がどのくらい大きかったのか?①建国初期の漢帝国と始皇帝の時代の秦の支配領域の大きさの比較
前回記事:秦の始皇帝が中国における最初の皇帝とされる歴史上の理由とは?始皇帝以前の古代中国の統一王朝と秦の支配領域の規模の比較
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