帰納(インダクション)と演繹(ディダクション)の語源とは?ラテン語における帰納と演繹の具体的な意味と由来
日本語において帰納(きのう)と演繹(えんえき)と訳される二つの推論のあり方は、英語においては、induction(インダクション)とdeduction(ディダクション)という言葉で表現されることになりますが、
こうした帰納(インダクション)と演繹(ディダクション)という言葉は、もともとは、ラテン語のinductio(インドゥクティオ)とdeductio(デドゥクティオ)という単語に由来する言葉であると考えられることになります。
そこで今回は、こうした帰納と演繹という言葉の語源となったラテン語の二つの単語が、それぞれ具体的にどのような意味と由来をもった単語なのか?ということについて詳しく考えてみたいと思います。
ラテン語におけるdeductio(デドゥクティオ)の意味と英語のintroduce(イントロデュース)の語源
まず、ラテン語におけるdeductio(デドゥクティオ)という言葉は、もともと、「下降」や「起源」を意味する接頭辞de(デ)に、
「導く」「引き出す」といった意味を表す動詞duco(ドゥーコー)から派生したductio(ドゥクティオ)という名詞が結びついてできた言葉であり、
全体としてdeductio(デドゥクティオ)という言葉は、直接的には、「何かから別の何かを導き出すこと」、すなわち、「導出」を意味することになります。
ちなみに、
ラテン語の動詞duco(ドゥーコー)が語源となった英語の単語としては、帰納と演繹を意味するinduction(インダクション)とdeduction(ディダクション)の他に、
例えば、introduce(イントロデュース)という単語なども挙げられることになりますが、
英語のintroduceは、「内側へ」を意味する接頭辞intro(イントロ)に、「導く」を意味するラテン語の動詞duco(ドゥーコー)が結びついてできた単語であり、
他者を自らの内へと引き入れること、すなわち、「紹介する」「引き合わせる」といった意味を表す動詞として用いられることになります。
そして、
こうしたラテン語の動詞duco(ドゥーコー)が語源となったdeductio(デドゥクティオ、演繹)という言葉は、
それが論理学の分野において用いられるときには、
より上位に位置する普遍的な概念から、その下位に位置づけられる個別的な概念や具体的な事物の存在が導き出されるという推論の形式を意味することになり、
さらに、より一般的には、
前提から結論が必然的に導出されるという論理的な推論のあり方全般のことを意味する言葉として用いられるようになったと考えられることになるのです。
ラテン語におけるinductio(インドゥクティオ)の意味とキケロによる古代ローマへのギリシア哲学の導入
それに対して、
ラテン語におけるinductio(インドゥクティオ)という言葉は、「中へ」を意味する接頭辞in(イン)に、「導く」を意味するラテン語の動詞duco(ドゥーコー)が結びついてできた単語であり、
それは、直接的には、「導き入れること」「導入」を意味する言葉であると考えられることになります。
そして、
論理学の分野においてこうしたinductio(インドゥクティオ)という言葉が用いられるようになった経緯は、
古代ローマ随一の雄弁家にして文筆家でもあったキケロが、ギリシア哲学を古代ローマの社会全体へと紹介していく際に用いた古代ギリシア語の概念のラテン語への翻訳のあり方に求められることになります。
ソクラテスやアリストテレスに代表される古代ギリシア哲学においては、
具体的事物や個別的な事例を挙げることによって、そこから普遍的な結論を導き出すという議論のあり方のことを指してepagoge(エパゴーゲー)という古代ギリシア語の言葉が用いられていたのですが、
キケロは、そうした古代ギリシア哲学におけるepagoge(エパゴーゲー)と呼ばれる議論の形式のことを指す概念を、上記のinductio(インドゥクティオ)というラテン語の言葉に訳すことによって、古代ギリシア哲学のラテン語による解釈を進めていくことになり、
それによって、inductio(インドゥクティオ、帰納)という言葉が、論理学においてdeductio(デドゥクティオ、演繹)という言葉の対をなす概念として定着していくことになったと考えられることになるのです。
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以上のように、
演繹(deduction、ディダクション)と帰納(induction、インダクション)という二つの言葉はそれぞれ、
ラテン語において「導出」を意味するdeductio(デドゥクティオ)という単語と、「導入」を意味するinductio(インドゥクティオ)という単語に由来する言葉であると考えられることになります。
そして、こうした互いに対をなす両者の概念は、以上のようなラテン語におけるもともとの語源がもつ意味に基づいて解釈すると、
それは、一言でいうと、
演繹(ディダクション)が、一義的には、より上位に位置する普遍的な概念から、その下位に位置づけられる個別的な概念や具体的な事例を導き出すという下降していく推論の形式として捉えることができるのに対して、
帰納(インダクション)の方は、その反対に、下位に位置する個別的な概念や具体的な事例を普遍的な概念へと導き入れ昇華するという議論の次元を上方へと導く推論の形式として捉えることができると考えられることになるのです。
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次回記事:演繹法と帰納法の具体的な違いとは?必然的な論理展開と実証的事実に基づく両者における推論の進め方の違い
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