ソクラテスの問答法とは何か?①エレンコスにおける演繹的推論と帰納的議論
ソクラテスは、「ソクラテスよりも知恵のある者は誰もいない」というデルポイのアポロン神殿の巫女によって下された神託の真意を確かめるために、
知者と呼ばれるあらゆる人々のもとを訪ね、彼らと対話し、その知を吟味していきます。
そして、
彼らは本当に知者であると言えるのか?ということを明かにすることを神によって自らに課せられた使命として遂行していくことになります。
こうした人々との対話の際に用いられる知を探究するための手法がソクラテスの問答法またはソクラテス式問答法(Socratic method)と呼ばれる方法論であり、
そうした知の探究は、エレンコスと呼ばれる一連の論駁の議論によって進められていくことになります。
ソクラテスのエレンコスにおける演繹的推論と帰納的議論
エレンコス(elenchos)とは、古代ギリシア語で反証や論駁のことを意味する言葉であり、
それは、対話相手の主張を反対論証によって覆していくことによって、より妥当な知のあり方へと探究を深めていく議論の方法ということになります。
そして、
ソクラテスのエレンコスにおいては、主に、演繹的推論を用いる形で相手が主張する知についての論駁が進められていくことになります。
ソクラテスの知の探究においては、常に、善く生きるとは何か? 善美なるもの(kalon kagathon、カロン・カガトン)とは何か?という問いを巡って議論が進んでいくことになるのですが、
そうした善美なる知の探究においけるソクラテスのエレンコス(論駁)の議論の典型的な形式は以下のようなものになります。
まず、
ソクラテスは、自分は善美なるものについての知を有していると称する対話相手から、その人が知っていると主張する知についての普遍的な定義を引き出します。
そして、次に、
その定義から論理的推論によって導かれる命題が元の定義に反する結論へとつながってしまうことを論証していき、
相手が主張する知のあり方が自己矛盾へと陥る論理的に不整合なものであるということを示すことによって、対話相手の主張を論駁していくことになるのです。
つまり、
ソクラテスのエレンコスにおいては、
対話相手自身が主張する知についての普遍的な定義について吟味し、その論理的整合性を突き崩すことによって、
その普遍的な知から導かれる個別的な事例における判断についても論駁するという演繹的推論を多く用いる形で議論が進んでいくということです。
また、
ソクラテスのエレンコスにおいては、こうした演繹的推論の他に、
以下のようなエパクティコイ・ロゴイ(epaktikoi logoi、帰納的論法)やエパゴーゲー(epagoge、帰納)と呼ばれる帰納法的議論も用いられることもあります。
例えば、
「善く生きるためには、善く生きるとは何か?そして、魂を善くするための徳とは何か?ということについて予めよく知っていなければならない」ということを論証する議論においては、
視力を良くするためには、まず、視力とは何かよく知っていなければならない。
また、
聴力を良くするためには、まず、聴力とは何かよく知っていなければならない。
という具体例から、
一般に、何かを良くするためには、その何か自体が何であるかを予めよく知っていなければならない。
という一般的な結論が導き出されることになります。
このように、
ソクラテスのエレンコスにおけるエパクティコイ・ロゴイ(帰納的論法)やエパゴーゲー(帰納)と呼ばれる議論においては、
具体的な個別的な事例を挙げることによって、そこから普遍的な結論を導き出すという帰納的議論を用いることによって議論が進められていくことになるのです。
・・・
エレンコスと呼ばれる知を論駁する議論の目的は、対話相手の知の吟味とその説得にあるので、
要は、相手を納得させるだけの説得力のある議論が提示できればそこで論駁は終わりとなり、逆に、相手が納得しなければ、様々な異なる角度からの論証がどこまでも延々と続けられていくことになります。
したがって、
ソクラテスの問答法を用いたそれぞれの議論におけるエレンコスのあり方は、
必ずしも演繹的推論と帰納的議論といういずれか一方の論証のタイプにすっきりと明確に分類できるわけではなく、
同じテーマの議論の中において、両者の論証のあり方が同時に用いられることもあれば、単なる類例の提示に終わるなど、少し不完全な形で論証が終わってしまうこともあるのですが、
いずれにせよ、以上のように、
ソクラテスの問答法においては、こうした演繹的推論と帰納的議論が複雑に絡まり合っていく中で、対話相手の知を吟味していくというエレンコス(論駁)に基づいた知の探究が進められていくことになるのです。
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そして、次回は、
こうしたソクラテスの問答法におけるエレンコスがどのようなものであるのか?ということについてより具体的に考えていくために、
プラトン著の対話篇『ラケス』に出てくる勇気についての知の論駁の議論におけるソクラテスのエレンコスのあり方について詳しく読み解いていきたいと思います。
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次回記事:敵を前にして逃げない勇気と、勇気ある戦略的撤退、ソクラテスの問答法とは何か?②
前回記事:ソクラテスの産婆術とは何か?教師や医者ではなく助産師が比喩として用いられている理由
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