マイケルソン・モーリーの実験における光速度変化の測定の仕組みとエーテルの実証の失敗、ローレンツ因子の由来とは?②

前回書いたように、19世紀後半の物理学史においては、マクスウェルの方程式に基づく電磁気学の確立によって、光の正体電磁波と呼ばれる波の一種として捉えられることが明らかとなり、

それによって、光学の分野においては、光を波の一種として捉える光の波動説と、波動としての光が空間の内を伝達していくために必要不可欠な媒介物質であると考えられていたエーテルの存在を仮定するするエーテル理論が当時の物理学界における主流派の学説とされるようになっていきます。

そして、こうした理論物理学の分野における光の波動説と、エーテル理論の発展に呼応して、実験物理学の分野においても、そうした光の性質やエーテルの存在を実験によって測定する試みが盛んに行われるようになっていくのですが、

その中でも、最も緻密で確度の高い測定結果が得られた測定実験としては、

1887に共にアメリカの物理学者であるアルバート・マイケルソンエドワード・モーリーによって行なわれたマイケルソン・モーリーの実験が挙げられることになります。

スポンサーリンク

マイケルソン干渉計における光速度変化の測定の仕組み

マイケルソン・モーリーの実験では、宇宙空間に遍在する光の媒介物質として想定されていたエーテルの干渉によって生じるはずの光の速さの変化を測定することによって、エーテルに対する地球の運動の検出が試みられたのですが、

この実験においては、実験者であるマイケルソン自身が考案したマイケルソン干渉計Michelson interferometerマイケルソン・インターフェロメーター)と呼ばれる光学機器が用いられていて、

この機器によるエーテルの干渉とそれに基づく光速度変化測定の仕組みは、具体的には以下のようなものとして記述することができると考えられることになります。

マイケルソン干渉計においては、まず、一つの光源から放たれた光が斜めに配置された透過率と反射率が等しい鏡であるハーフミラーによって互いに垂直な二方向へと分割されることになります。

そして、二方向へと分割された光は、今度は、それぞれの光の進路の先にある反射鏡によって反射され、再びもとの分割地点へと戻ってくることになるのですが、

このとき、互いに別々の二経路を進んできた光が同じ地点ににおいて別方向から合流することによって、そこに干渉縞と呼ばれる光の強さの濃淡の違いによって描かれる同心円状の縞模様のようなものが形成されることになります。

そして、こうして形成された光の干渉縞をさらにその先に置かれた検出器を使って検出し、そうした干渉縞の位置や形状を分析することによって、二つの経路を進んできたそれぞれの光の速さの違いの変化を測定することが可能となると考えられることになるのです。

絶対的な静止系であるエーテルの地球に対する相対的な運動の観測

一般的なエーテル理論においては、

宇宙空間全体を均等に満たす形で遍在することによって、すべての運動に対して完全に静止した状態にあると考えられていたエーテルに対して、

実験が行われている観測地点にあたる地球は、自転や公転といた様々な天体運動によって常に移動していると考えられることになりますが、

それは逆に、干渉計が設置されている地球上の実験地点を基準にして考えると、

そうした地球上の一地点においては、実験地点に対してエーテルの方が一定の方向へと流れていくというエーテルの風とでも呼ぶべき相対的な運動が観測されると考えられることになります。

例えば、

風がまったく吹いていない日であっても、自転車を思い切り速く漕いでいると観測者である人間にとっては向かい風を感じることができるように、

絶対的な静止状態にあるエーテルと自転や公転運動を行っている地球上に位置する干渉計の関係においても、

干渉計の側からは、干渉計に対するエーテルの相対的な運動としての「エーテルの風」を観測することが可能であると考えられることになるのです。

そして、上記のマイケルソン干渉計を用いたマイケルソン・モーリーの実験においては、

二方向へと分割された別々の経路を進んできた二つの光の速度は、そうしたエーテルの風による一定方向からの干渉を受けることによって、

一方の経路を通ってきた光の速度よりも、もう一歩の経路を通ってきた光の速度のがより速く、あるいはより遅れて観測されると考えられることになります。

そして、そうした二つの経路を進んできたそれぞれの光の速さの差異のあり方は、地球の自転方向に対する干渉計の向きや実験を行う場所や日時を変えることによって変化していくことになり、

こうしたエーテルの干渉による光の速さの変化のあり方は、それによって生じるはずの干渉計によって検出される干渉縞の位置の変化によって測定することができると考えられることになるのです。

スポンサーリンク

マイケルソン・モーリーの実験におけるエーテルの実証の失敗とその後

しかし、実際には、

こうしたマイケルソン・モーリーの実験においては、計算上は十分な精度が確保されたうえで、何度も追実験が行われたにもかかわらず、いかなる条件のもとでもエーテル干渉による光の速さの変化を検出することはできず

エーテルの存在とその干渉によって生じるはずの光の速度の変化を実証しようとするこの実験の目的自体は失敗に終わってしまうことになります。

そして、こうした実験自体の目的とは裏腹に、

その後の物理学界においては、光の速度は、エーテルによる干渉を受けることなく、常に一定であるという光速度の不変性を前提としたうえで、

上記のマイケルソン・モーリーの実験結果を整合的に説明するための理論が求められるようになっていきます。

そして、こうした光の波動説におけるエーテル理論を前提とする波動光学の範囲内において、上記のマイケルソン・モーリーの実験結果を整合的に説明するために提唱された仮説の一つローレンツ収縮ということになるのですが、

ローレンツ収縮と呼ばれる考え方が物理学史において登場するにあたって、この理論の構築に貢献した人物の名としては、

この仮説の名称の直接的な由来となっているオランダの物理学者であるヘンドリック・ローレンツの他に、

アインシュタインが特殊相対性理論を発表する4年前の1901年に、アイルランドの首都ダブリンで49歳の若さにしてその生涯を閉じたアイルランドの物理学者であるジョージ・フィッツジェラルドという

合わせて二人の物理学者の名が挙げられることになるのです。

・・・

次回記事:ローレンツ収縮とエーテル理論との関係とフィッツジェラルドによる同一仮説の先駆的提唱、ローレンツ因子の由来とは?③

前回記事:光の波動説におけるエーテル理論の隆盛とマクスウェルの方程式に基づく電磁気学の確立、ローレンツ因子の由来とは?①

物理学のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ