「形而上学」(メタピュシカ)という言葉に含まれる三つの意味の違いとは?形而上学と呼ばれる概念の解釈のあり方のまとめ
日本語では「形而上学」と訳されている英語のメタフィジックス(metaphysics)やラテン語のメタフィシカ(metaphysica)という言葉は、
もともと、古代ローマの時代に行われた「アリストテレス著作集」の編纂の際に、その内の一連の著作群に対して付されていた
「タ・メタ・タ・ピュシカ」(ta meta ta physika)という古代ギリシア語の言葉に由来する単語であると考えられることになります。
そして、こうした「形而上学」と呼ばれる概念が示していると考えられる具体的な意味の解釈のあり方についてまとめると、
そこには、大きく分けて、以下で述べるような三つの意味の違いが存在すると考えられることになるのです。
「自然学の後に位置づけられる著作」としての形而上学
「形而上学とは何か?⑥」の記事で書いたように、古代ギリシア語の「タ・メタ・タ・ピュシカ」(ta meta ta physika)、そして、その省略形である「メタピュシカ」(metaphysika)という言葉は、
紀元前1世紀の時代のローマにおいて、アリストテレスを祖とする哲学の学派であるペリパトス学派(逍遥学派)にもゆかりのあるロドス島出身の哲学者アンドロニコスによって行われたアリストテレスの著作集の編纂において用いられた著作区分の名前に由来する言葉であり、
アンドロニコスは、存在論や普遍概念、あるいは不動の動者としての神といった通常の学問分野に分類することが不可能なテーマについての考察がなされている一連の著作群を「自然学」に分類される著作群の後に位置づける形で著作集の編纂を行い、
そうした著作群が「自然学(タ・ピュシカ)の後に(メタ)位置づけられる一連の考察」であるという意味でこの言葉を用いていたと考えられることになります。
つまり、「形而上学」(メタピュシカ)という言葉は、そのもともとの第一の意味においては、
その名が付された一連の著作群が「自然学の後に位置づけられる」という著作集における著作の並び順の前後関係を意味する言葉であったと考えられることになるのです。
「自然学の後に学ばれるべき学問」としての形而上学
しかし、その一方で、「形而上学とは?⑦」の記事で書いたように、こうしたアリストテレスの一連の著作群が「自然学の前」ではなく「自然学の後」(メタピュシカ)に置かれることになったのは、単なる偶然ではなく、
そこには、学問における学習や探究の順序においても、「形而上学」は「自然学」といった一般的な学問の後に学ばれるべきであるという意味が暗に含まれていると解釈することができると考えられることになります。
人間の一般的な学習の過程においては、まず、直接的に観察したり経験したり
することが可能な具体的な事物についての認識からスタートして、
その後、それらの具体的な個物の認識に共通する性質の抽出や吟味などを行うことによって得られるより普遍的な概念についての考察へと進んで行くことになりますが、
それと同様に、「存在そのもの」といった極めて普遍的で抽象的な概念についての探究を行う学問としての「形而上学」(メタピュシカ)は、
その学問の内容が記されている著作の順番としてだけではなく、それが学習ないし探究されるべき学問探究の順序においても、「自然学の後」にくるべき学問であるとも考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
「形而上学」(メタピュシカ)という言葉は、その第二の意味においては、
その名が付された学問が「自然学の後に学ばれるべき学問」であるという学問探究の順序を意味する言葉であったとも解釈できると考えられることになるのです。
「自然学を超越する対象を探究する学問」としての形而上学
そして、「形而上学とは?⑧」の記事で書いたように、「形而上学」という言葉について、それをその名が付された著作において書き記されている思想内容や学問自体のあり方についても言及する言葉として捉えるこうした第二の解釈のあり方からは、
さらに、その言葉をそうした学問が取り扱う探究の対象の次元について言及する言葉として捉える第三の解釈が生じてくると考えられることになります。
前述したように、学問としての「形而上学」においては、すべての事物に共通する性質である「存在そのもの」についての探究や、そうしたすべての存在の究極の根拠にして始原である不動の動者としての神の存在についての探究が進められていくことになりますが、
そうした学問としての「形而上学」において探究の対象となる「存在そのもの」や「神」といった存在は、この世界の内にあるすべての存在を超えた超越的な存在であると考えられることになるので、
「形而上学」においては、自然界の内に存在する具体的な個物についての探究を行う学問である「自然学」における学問探究の範囲をはるかに超越したより高次の存在が探究の対象となると捉えることができると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
「形而上学」(メタピュシカ)という言葉は、その第三の意味においては、
その名が付された学問においては「自然学の範囲を超越した存在」が探究の対象となるという学問が取り扱う探究の対象の超越性を意味する言葉として解釈することができると考えられることになるのです。
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以上のように、「形而上学」(メタピュシカ)という言葉が指し示していると考えられる具体的な意味内容の違いについてまとめると、
①「自然学の後に位置づけられる著作」という著作の並び順の前後関係のことを意味する概念
②「自然学の後に学ばれるべき学問」という学問の学習と探究の順序のことを意味する概念
③「自然学の範囲を超越する対象を探究する学問」という学問が取り扱う探究の対象の超越性のことを意味する概念
という三つの異なる意味が「形而上学」(メタピュシカ)と呼ばれる概念には含まれていると解釈することができると考えられることになるのです。
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初回記事:形而上学とは何か?①『易経』「繋辞上伝」における形而上と形而下の定義とその具体的な意味の解釈
前回記事:「自然学の範囲を超越する対象を探究する学問」としての形而上学(メタピュシカ)の第三の意味、形而上学とは何か?⑧
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