「自然学の後に学ばれるべき学問」という学問的探究の順番としての形而上学(メタピュシカ)の第二の意味、形而上学とは?⑦

前回書いたように、日本語では「形而上学」と訳されるギリシア語の「メタピュシカ」(metaphysikaあるいは英語のメタフィジックス(metaphysicsという言葉の直接の由来は、

紀元前1世紀にロドス島出身の哲学者アンドロニコスによって行われたアリストテレスの著作の編集作業において用いられた著作編纂上の区分に求められることになり、

それは一言でいうと、もともとは、「自然学の後に位置する一連の考察」のことを意味する概念であったと考えられることになります。

そして、これから考察していくように、

こうした形而上学」(メタピュシカという言葉が指し示す具体的な意味内容としては、上記の「自然学の後に位置する」という意味以外に、さらに二つの別の意味が存在すると考えられることになるのです。

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「自然学の前」ではなく「自然学の後」に位置づけられた理由とは?

詳しくは前回の記事で述べたように、

アンドロニコスによるアリストテレス著作集の編纂においては、『論理学』や『自然学』といった一般的な学問区分に対応づけることができない主題について取り扱われている一連の著作に対して、

自然学タ・ピュシカ後にメタ位置づけられる一連の考察」という意味で、タ・メタ・タ・ピュシカta meta ta physika)」という古代ギリシア語の言葉が付されていて、

こうした経緯から、古代ギリシア語におけるタ・メタ・タ・ピュシカta meta ta physika)」、そして、その省略形にあたるメタピュシカ」(metaphysikaという言葉は、

もともと一義的には、自然学の後に位置するという著作の順序の前後関係のことを意味する言葉として用いられていたと考えられることになります。

しかし、その一方で、

こうしたアリストテレスの一連の著作に対して、「メタピュシカ」という言葉が付されることになった理由としては、

単なる著作編纂上の区分という便宜的で偶然的な理由だけにはとどまらずに、そこには、そうした区分に分類される著作が書き表している学問自体の内容に関わる理由も存在していたと考えられることになります。

こうした一連の著作に対して、単に、著作編集上の便宜的な区分という意味だけで、「メタピュシカ」という言葉が付されているとするならば、

それは必ずしも「自然学の後」(メタピュシカ)ではなく、「自然学の前」に位置づけられても別にかまわなかったと考えられるわけですが、

のちに「形而上学」(メタピュシカ)と題されることになったこうした一連の著作が「自然学の前」ではなく、「自然学の後」に置かれることになった理由としては、

著作の編纂作業における単なる偶然や、便宜上の理由だけではなく、もっと別の何らかの必然的な理由があったと考えられることになるのです。

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「自然学の後に学ばれるべき学問」という学問探究の順番としての形而上学(メタピュシカ)の意味

アリストテレス著作集の編纂において、「形而上学」(メタピュシカ)のカテゴリーに分類されている一連の著作群においては、

一般的な学問区分に対応づけることができない主題として、例えば、存在そのものの意味や、あらゆる物事の根本に存在する普遍的概念についての考察がなされているのですが、

こうした物事の根本に存在する普遍的概念と、そうした普遍的な概念によって包括される具体的な事物についての概念との間には、それぞれの概念についての学問的探究のあり方として、一般的に、以下のような関係が成り立つと考えられることになります。

例えば、

」や「」、「」や「シマウマ」といった個々の動物の種類を指し示す概念に対して、

動物」という概念自体は、それらの個々の概念全体に共通するより包括的で普遍的な概念であると考えられることになります。

そして、

人間は、通常の学習や学問探究の過程において、まずはじめに、観察などの具体的な経験を通して、「」や「」といった具体的な事物についての知識を得たうえで、

そうした具体的な事物を包括する概念である「動物」「生物」、さらには「存在そのもの」といった普遍的概念についての考察へと学習および知的探究の過程が進んで行くと考えられることになります。

自ら動いて有機物を栄養として摂取する」「神経系や感覚器官・消化器官・呼吸器官などの生体器官を有する」「細胞壁がなく細胞膜をもつ細胞によって構成される」といった抽象的な定義のみを用いることによって、

「動物」という普遍的な概念自体そのものを理解することも完全に不可能であるとまでは言えないとは考えられることになりますが、

例えば、

幼稚園児は、家で飼っているペットとの触れ合いや、毎日歩く散歩道で出会う小動物や小鳥たち、あるいは動物園の見学などの様々な具体的経験を経たうえで、後になって、そうした自分が見たり触れ合ったりしてきた「」や「」、「」や「シマウマ」といったものたち全体のことを「動物」という言葉によって言い表すことができるということを知るのであって、

その反対に、そうした具体的な事物としての動物たちを実際に目にしたり、彼らと触れ合ったりする前に、上記のような「動物」という普遍的な概念自体についての小難しい抽象的な定義の方を頭だけで理解しているわけではないように、

通常の場合の学習の順序としては、

まず、「」や「」、「」や「シマウマ」といった個々の動物の具体的な姿や特徴を実際に目で見るなどしてある程度よく学んだうえで、

そうした個々の動物に共通する性質や概念についてさらに詳しく考察していくことによって、「動物」というより包括的で普遍的な概念についての知識が形成されていくと考えられることになります。

そして、こうしたことと同様に、

存在そのものの意味や、あらゆる物事の根本に存在する普遍的概念についての考察を進めていく形而上学」(メタピュシカと呼ばれる学問のあり方についても、

それは、単なる著作編纂上の区分といった便宜上の理由から偶然的に「自然学」の項目の後に位置づけられることになったというわけではなく、

そこには、学問の学習や探究の順番においても、「自然学の後に学ばれるべき学問」であるという意味も含まれていたと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

「形而上学」(メタピュシカ)という言葉が指し示す具体的な意味内容としては、「自然学の後に位置する」という著作編纂上の順序のことを意味する第一の意味だけではなく、

そこには、単なる著作の順番としてだけではなく、学問の学習や探究の順番においても、「自然学の後に学ばれるべき学問」であるという第二の意味も含まれていると考えられることになります。

そして、詳しくはまた次回改めて考察していくように、

こうした「形而上学」(メタピュシカ)という言葉が指し示す第二の意味からは、そこからさらに派生して、新たに第三の意味が生じてくることになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:「自然学の範囲を超越する対象を探究する学問」としての形而上学(メタピュシカ)の第三の意味、形而上学とは何か?⑧

前回記事:アリストテレスの著作編纂上の区分における「自然学の後に位置する考察」としての「メタピュシカ」、形而上学とは何か?⑥

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