「常に悪を望み、常に善を成す」という悪魔メフィストフェレスの言葉の真意とは?『ファウスト』の和訳と解釈③
前回の記事では、ゲーテの『ファウスト』において、
悪魔メフィストフェレスが黒い犬という仮の姿を捨てて、ファウストの前に初めてその姿を現し、彼との問答をはじめる場面について、ドイツ語の原文から日本語へと一文一文対訳形式で訳していくなかで、その話の流れを詳しく追っていきましたが、
そうした問答の中で、ファウストから二度にわたってその名を聞かれたメフィストフェレスは、
自分は「常に悪を望み、常に善を成すというあの力の一部である」という非常に謎めいた答え方をすることになります。
今回は、こうしたメフィストフェレス言葉の真意は、具体的にどのようなところにあるのか?ということについて、さらに、もう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
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「常に悪を望み、常に善を成す」という一見矛盾しているようにも思われるメフィストフェレスの言葉が、具体的にどのようなことを意味しているのか?ということについては、
大きく分けて、以下のような二通りの解釈の仕方があり得ると考えられることになります。
人間が悪と呼ぶ働きのすべては根源的な意味においては善である
まず、一つ目の解釈としては、
前回取り上げた引用部分で述べられているメフィストフェレスによる悪の弁明の箇所を読み込むことによって、上記の言葉を読み解くという解釈が考えられることになります。
この引用部分の後半では、メフィストフェレスは、自分は「常に否定し続ける霊」であると語ったうえで、
「生まれてくる一切のものには、ただ滅びゆくだけの価値しかないのだから、それならば、いっそはじめから何も生まれてこない方がましである」
というニヒリズム(虚無主義)へとつながる思想を語っています。
そして、メフィストフェレスは、
そうした生まれてくる一切のものをもとの何も無かった状態へと引き戻すという否定の力に属する働きである破壊や悪といった概念は、すべて自らの本来の領分に属する働きであると語ることになるのですが、
このようなメフィストフェレスの考えに従うと、
あらゆるものを生み出す生成の力が、必然的に滅びをもたらすことになるという意味では、必ずしも絶対的な善であるとは言い切れない以上、
その対極にある否定の力も、必ずしも絶対的な悪であるとは言い切れないとも考えられることになります。
つまり、この箇所においてメフィストフェレスは、
すべてをもとの何も無かった状態へと引き戻す否定の力の一部である自分の行いは、
滅びへと通じるだけの無意味な生成の繰り返しに歯止めをかけ、いたずらに苦痛をもたらすだけの生に対して、速やかな死の安息をもたらすという意味においては、
むしろ、根本的には善なる行為であるとも言えるということを主張していると考えられるのです。
したがって、
こうしたメフィストフェレスの主張に基づくと、
破壊や死といった人間が悪と呼ぶ働きのすべては、その根源的な意味においてはむしろ善であるとする善悪の価値の反転という意味において、
上記の「常に悪を望み、常に善を成す」という言葉が語られていると解釈することができると考えられることになるのです。
悪の力が原動力となりより大きな善が導かれる
その一方で、
前回取り上げた引用箇所だけではなく、ゲーテの『ファウスト』という作品全体を通して、
自分は「常に悪を望み、常に善を成す力の一部であり」、「常に否定し続ける霊」でもあると語るメフィストフェレスの言葉の意味を考えていくと、上記の解釈とは少し違った解釈にも行き着くことができると考えられます。
主人公であるファウストが登場する前の場面である「天上の序曲」と題されるこの物語の序章においては、
天界において、ラファエルとガブリエルとミカエルという三人の大天使と共にメフィストフェレスが現れて神の御前に進み出て、
悪魔であるメフィストフェレスが主である神と直接問答を交わすという場面が描かれています。
そして、その場面の中では、
「すべての否定する霊たち(allen Geistern die verneinen)」という複数形の形ではありますが、
のちに、メフィストフェレス自身が自らの名としてファウストに語ることとなる「否定する霊(der Geist, der verneint)」という言葉が悪魔であるメフィストフェレスではなく、神の言葉として語られることになるのです。
上記の場面における神と悪魔メフィストフェレスの問答の詳しい話の流れについては、改めて次回以降の記事で書くことにしますが、
一言でいうと、この箇所では、
「否定する霊」であるメフィストフェレスら悪魔たちは、確かに、この世に罪や破壊といった悪をもたらすことを望んで人間の暗い衝動へと働きかけはするのですが、
こうした悪魔たちがもたらす悪の力が、かえって人間の精神に対する刺激となることによって、結果としてより大きな善が行われることに通じるということが語られることになります。
つまり、
こうした『ファウスト』の序章「天上の序曲」におけるメフィストフェレスに対する神の言葉に従うと、
メフィストフェレスを含むすべての悪魔たちは、常に死や破壊、堕落や絶望といった悪をもたらすことを心から望みながら、
そうした悪魔たちが生み出す否定の力が、かえって人間の精神における新たな生成と創造の力の原動力となってしまうという意味において、
彼らは、文字通り、自分では常に悪を望みながら、自らの意に反して、結果として常により大きな善を導いてしまうという働きを持った存在であると捉えられることになるのです。
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以上のように、
ファウストの前に初めてメフィストフェレスが登場する場面において語られる「常に悪を望み、常に善を成す」という悪魔メフィストフェレスの謎めいた言葉の真意については、
メフィストフェレス自身の言葉に従って、
人間が悪と呼ぶ働きのすべては、その根源的な意味においてはむしろ善であるという意味として捉える解釈と、
『ファウスト』の序章「天上の序曲」における神の言葉に基づいて、
自分では常に悪を望みながら、自らの意に反して、結果として常により大きな善を導いてしまうという意味として捉える解釈の二通りの解釈が考えられることになるのです。
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次回記事:「天上の序曲」における神と悪魔メフィストフェレスの問答①神の言葉による悪魔の定義、『ファウスト』の和訳④
前回記事:ゲーテ『ファウスト』におけるメフィストフェレス登場の場面の全文和訳と対訳とドイツ語の発音、『ファウスト』の和訳②
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